〝学び直し〟で〝バージョン・アップ〟した自分を目指す愚かさ 「リカレント教育」の矛盾を突く【大竹稽】
「自主性」の大誤解を正す!
東大理三に入学するも現代医学に疑問に抱き退学、文転し再び東大に入る。東大大学院博士課程退学後はフランス思想を研究しながら、禅の実践を始め、現在「てらてつ(お寺で哲学する)」を主宰する異色の哲学者・大竹稽氏。深く迷い、紆余曲折しながら生きることを全肯定する氏が、「リカレント教育」の矛盾を突く。「バージョンアップした自分」を目指す意識高い系ビジネスパーソンは幸せになれるのか?
■「役立ち度・必要性」を売りにするリカレント教育は不幸への道!?
「キャリア、キャリアってそろそろいい加減にして!」
前回はキャリア信奉に対する噯気(おくび)を、できるだけ和やかに出してみました。リカレント教育界隈では、もう一つ、「自主性」なんてキーワードが喧伝されています。これもまた、「いい加減にしようよ」ってところです。
公明党がリカレント教育についてこのような見解を公開しています。
「リカレント教育を含む生涯学習、すなわち、いつでも自由に学習機会を選択できる「学び」は、一人一人の自主性が発揮されてこそ社会に根付くということだ。国民が自主的な「学び」に何を求めているかを捉え、その実現に必要な環境整備を進めてほしい」
この見解では、しばしば混同される生涯教育とリカレント教育を比較して、「生きがい」という視点から両者の違いを分析しています。一般的に、生涯教育は「教養」、そしてリカレント教育は「その場凌ぎの知識」という印象がもたれているようです。
教養は長い人生を通して徐々に醸成されるもの。教養は「役に立たない」「必要ない」かもしれません。それでも学ぶのです。いや、教養に「お役立ち度」「必要性」など求める人たちは、教養を大きく誤解しています。そんな人はインスタント教養の陥穽(かんせい)にすっぽり落ち込み、上っ面の教養でごまかしていることに気づきましょう。そして、リカレント教育の講座は、私の知るかぎり「役立ち度」「必要性」を売りにしています。そんなリカレント教育に抵抗する人たちが多いのは、私も首肯できます。
ここまでは公明党の主張は的を射ています。が、問題はここに「自主性」を持ち出したことです。
さて、「自主性」なるものをどう説明したらよいでしょう? 大半の答えには、「個人」が登場すると思いますが、いかがでしょう?
もしそんな「自主性」なら、「自主」「自主」で誘導されればされるほど、人間関係はいびつになり、辛く苦しいものになっていきます。果たして、分断された個人だけで構成される社会になってしまうでしょう。そんな社会では、誰も助けてくれません。そして、さらに重い圧力でもって、「自主」「自主」「自主」「自主」と私たちを押し潰そうとするでしょう。
大前研一先生が、2019年にこんな本を出版されました。『稼ぐ力をつける「リカレント教育」〜誰にも頼れない時代に就職してから学び直すべき4つの力』です。
「誰にも頼れない時代」なんて刺激的な言葉で犠牲者を増やしているようですが、ビジネス的には「頼れない」個人を増やした方が、それだけ本が売れるので、このタイトルはもしかしたら大前先生ではなく出版社の戦略かもしれません。そして、この本の煽り文句には、こうあります。
「リカレント教育の意義、答えのない時代に求められる自ら答えを見つけ突破力をつける生き方がわかります」
さて、この一文に対して、私ならこう述べるでしょう。
「答えのない時代に求められるのは、自ら問いを見つけ、仲間たちと考え合う場です。力よりもまず場に注目しましょう。場から課題を乗り越える力が育まれます」
誰も助けてくれないから「私は自主的になる」? 大誤解です! 助け合え、支え合える人たちが、「私たち」として自主的なのです。自主とは決して「私」個人の問題ではなく、常に「私たち」の課題なのです。