「統一教会問題」と「ホスト問題」の意外な共通点とは【仲正昌樹】
他人には愚かに見える「自己決定」をどう考えるのか? 「自由意志による契約」とはそもそも何か?
政治を巻き込んだ国をあげての大騒動に発展した、今年の二大社会問題といえば、統一教会問題とホスト問題であろう。宗教と風俗という全く異質な領域に属するように思える両者だが、実は、一番中核にある問題は共通している。それは「自由意志」による「自己決定」をめぐる問題、更に特定すれば、第三者から見ると、極めて愚かな目的のためにお金を使うことの是非をめぐる問題だ。両者の意外な共通項について掘り下げて考えてみたい。
統一教会については既に解散請求が成されると共に、「被害者救済法」が成立し、財産保全法も成立の見込みになっている。ホストについても、高額の売り掛け金を要求できないよう法律で規制しなければいけない、という声が強まっている。いずれの場合も、本人が自らの意志に反して高いお金を払うよう操られている、つまり、マインド・コントロール(MC)されている、と言われている。MCという言葉が直接使われているのは、今の所、統一教会問題だけだが、自発的にお金を払っているのか疑問視されている点は同じだ。ホスト問題でも、「女性たちは自発的に貢いでいるのではないか。それは契約が成立しているということではないか」、という慎重論が出てくれば、MCで説明しようとする“専門家”が出てきてもおかしくない。
近代市民社会の民法を中心とする民事法では、当事者同士の自発的合意の表明によって成立した約束(契約)は有効であり、後になって取り消せるのは、権力によって脅したとか、相手の無知に付け込んだとか特殊な場合に限られ、どういう場合がそれに当たるかは、消費者契約法とか特定商取引法、労働法等で定められている。簡単に、一方が「気が変わった」と言って無効にできるのであれば、安心して他人と約束して、社会的な行為をすることが困難になるからである。
しかしMCという概念を使えれば、「MCによってそう思わされていただけで、本当の自由意志ではない」、と主張して、あらゆる約束を無効にできる可能性がある。統一教会の元信者である私からしてみれば、MCについての特別な訓練を受けているわけでもなく、ごく少数がたまに霊感商法や高額献金の説得に携わっているだけの統一教会信者の一人一人が、危険なMCの術を身に付けているというのであれば、一晩に何百万、何千万円も使わせるプロのホストの方が遥かに高度なMCの術を身に付けていると言うべきだろう。
宗教は教義で犠牲を強いるが、ホストは外見やサービスで快楽を与えるので、全然違うと思う人は多いだろうが、宗教が直接権力を握っている国ならいざ知らず、日本のような国で多額のお金を払わせたいのであれば、相手をその気にさせるしかない。つまり、救いに近付くとか、教祖や他の信者が喜ぶとか言って、いい気分にさせ、自発的に決めさせるしかない。宗教を積極的に実践したことがない人にはピンときにくいだろうが、宗教にはその宗教特有の快楽がある。それがないと、長年にわたって信心し、献金や奉仕を続けることなどできない。