リスキリングを追いかけて「使い捨て人材」にならないように、知っておくべきこと《前編》【大竹稽】
〜デジタルは「ないと困る」思考の「知識だけ」人間を製造し使役する〜
◾️「デジタル対応できる道具」としての人間の養成
リスキリング講座は、新たな技術の獲得を目指します。もちろん、「新た」とは「デジタル対応」することです。喫緊のデジタル課題をクリアするために役立つスキルであって、「将来必要になるかもしれないし、必要にならないかもしれない」ものではありません。そしてそのスキルとは、人間側からの要請ではなく、デジタル側の要請、一種、強迫に近い要請ですよね。
彼らは人間に迫ってきます。
「自分たちを使えない人間は役立たず。自分たちの進歩のペースについて来れない落伍者たちは棄てられることになる。以前、お前たち人間が道具に対してしてきたことを、今度は我々がお前たちにするのだ」
映画の世界で描かれたカタストロフィより、もっと無残な人間の末路があるかもしれない、ですよね。「役に立つ」の判定は、人間よりもAIの方が平等で正確でしょう。なぜなら、そこに情状酌量なんて雑味が紛れることはありません。「なんとなく」とか、「面白そう」「楽しそう」なんてあいまいな理由は、AIの前では無情にも砕け散るだけです。すでにリスキリングには、こんな悠長で感覚的な理由など通じません。ということは……?
いずれAIによって人間が「役に立つ・立たない」と分類される時代が来る?その時代に、「役に立たない」人間はどこでどうなっているのでしょうか?まぁ私はこれに徹底的に抗いますが(特にこどもたちのために)。
デジタルを使うための技術獲得を目指す?役に立つ知識を教える?「即効性のある能力獲得」なんて釣ってくるいかがわしい出版社もありますが、本当にそれでいいの?「デジタルを使うため」と煽りながら、「デジタルに使役される」人間を製造していません?
ところで「知識」は「役に立つ」が最低条件です。「知識」という呼称がつく限り、「役立たず」はクズでゴミ。「知識」の名に相応しくありません。ですから。知識でパンパンになった頭は、知識が「ない」とすぐに機能停止してしまいます。
いっぽうで、「智慧」もあります。智恵は役に立つかどうかわかりません。そもそも「役立つかどうか」なんて目指されていません。智慧とは、「なくてもなんとかしてしまう」工夫や体験のようなもの。決してデータ化できません。ですから、智慧として登場しても、「役に立つデータ」として蓄積されるようになった瞬間に、智恵は知識へと堕ちてしまいます。