右でも左でもない、小林よしのりの思想に刮目せよ!
ベスト新書15周年「ゴーマニズム戦歴」発売記念コラム3
わしに歴史あり
いまや、「ゴーマニズム」への入口は世代や人によってさまざまだ。『戦争論』や『天皇論』から入った読者が多いのはもちろん、いきなり左翼的な興味から『脱原発論』を最初に読んだ人だっているに違いない。わしへの印象がバラバラになるのも当然である。このままでは、「小林よしのりは何者か」がますますわかりにくくなり、いま以上に誤解や偏見が膨らんでいくことになりかねない。
だからわしは、ここでいったん自分の戦歴を振り返り、その思想的な流れを明らかにする本をつくろうと考えた。これ一冊でゴーマニズム二十数年の歴史がわかり、わしの立場や考え方が理解できる―そんな本が必要だと思ったのだ。
それが、この『ゴーマニズム戦歴』である。さまざまな権威に楯突き、「左」とも「右」とも戦ってきたわしの戦歴は、単なる個人史には留まらないだろう。それは、バブル崩壊後から現在まで混迷を深めるこの国の政治史、言論史にもなるはずだ。
九二年に連載が始まった『ゴー宣』の初期は、自分の常識にしたがって、ほぼ直観のみで権威に牙を剥いた「個人主義の時代」である。のちに徹底批判する「戦後サヨク」的な感覚もどこかに残っていただろう。
しかしオウム真理教事件や薬害エイズ事件などを通じて、わしは近代的な「個の確立」に疑問を抱くようになった。日本人には真の個人主義が根づかず、単なる「利己主義」に陥っているのではないかと感じるようになったのだ。そこから徐々に「公」とは何かという問題意識が芽生えた。
それと同じ時期に関わったのが、従軍慰安婦問題だ。これに疑問を持つと、「歴史」に目を向けざるを得ない。その流れで、「新しい歴史教科書をつくる会」にも加わった。ここで身につけた歴史学の手法が、『戦争論』へとつながっていく。「公とは何か」という問題意識も相まって、ナショナリズムに目覚めたのがこの時期だ。
大東亜戦争を真正面から肯定した『戦争論』によって、わしはいわゆる「保守派」の論客と見なされるようになった。しかし二〇〇一年あたりから、小泉政権の経済政策や9・11の米国同時多発テロなどをめぐり、旧来の「保守派」とのあいだに亀裂が生じる。それはイラク戦争への賛否で決定的なものとなり、わしは「親米保守」と完全に袂を分かった。
世間から見て小林よしのりが「右」なのか「左」なのかわかりにくくなったのは、この頃からだろう。
ステレオタイプの「右」「左」という枠組みから逸脱した存在になったわしは、「真の保守とは何か」を突き詰めて考えるようになった。その成果が『天皇論』や『脱原発論』だ。一般的には左右に分かれるこの二つのテーマが「保守」というキーワードでつながることが納得できれば、わしの思想をかなり理解したといえるかもしれない。
さらにその保守思想は、民主主義に対して根本的な疑問を呈するという方向へ向かった。『ゴー宣スペシャル』の最新刊、『民主主義という病い』である。わしはこの作品で、民主主義の本質について何も知らない勉強不足の知識人どもに刃を突きつけた。「権威よ死ね!」で始まったゴーマニズムの真骨頂といえる作品でもある。
こうして俯瞰しただけでは、わしの思想がなぜこのような展開になったのかはよくわからないだろう。『ゴーマニズム戦歴』では、その時々の時代背景やわしの幼少時代からの原体験なども詳しく語っていく。それを読めば、小林よしのりがいったい何者なのかがわかり、その現在の立ち位置も深く理解できるはずだ。「わしに歴史あり」である。
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