僕にはテーマがない【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第12回
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第12回
【作品を売る人はテーマが欲しい】
一方で、鍋を売る商人は、その鍋にどんな価値があるのか、を訴えたいだろう。そうすれば、なにもない鍋よりも売れる可能性がある。ほかにはない特別さがあると謳いたい。これも自然なことだと思う。鍋を作った職人として、多少の違和感はあるものの、既に自分の手を離れたものであるから、とやかくはいいたくない。嘘でなければ許容できる。
書店に本が並んだら、あとは書店の売り方の問題になる。どんなポップを立てても、僕はかまわない。最近では、書店がオリジナルのカバーを被せて本を売ったりもしているが、まあ、このくらいのことも許容している。自作品の本質には影響しないからだ。
たとえば、自分の作品で何が大事なのか、というと、僕の場合、第一にタイトルである。だから、映画化、漫画化、ドラマ化、あるいは翻訳においても、「タイトルを変えるな」という条件を出す。ついでに、作者名の表記を「MORI Hiroshi」とすることを条件としている。それ以外にはなにも口出ししない。内容が変わっても、新しい作品を作ったのだから当然のことだ。まったく同じ内容である方がむしろおかしい。わざわざ新たに作る必要がなくなってしまう、とさえ感じる。
二次創作を、読者の多くは反対する。それは、それぞれの読者が自分で抱いたイメージと異なっているからである。ただ、読者どうしでもイメージは同一ではないはず。みんながそれぞれ違ったイメージ、違ったテーマを既に持っている。それと同様に、新たな作品でもまたイメージやテーマが作られる、ということ。
そういえば、『スカイ・クロラ』が映画化されたとき、スポンサのTV局の人がわざわざ自宅を訪ねてきて、「タイトルを変えたい」と要望された。唯一の条件でさえ守られないのかな、と呆れた。当然「だったら、映画化はなかったことにしましょう」と答えた。その方は、「こちらのタイトルにしたら2倍売れますよ」とおっしゃった。なるほど、それがこの人のテーマなのだ、でも、そんなことは僕には関係がない、と思わず、吹き出してしまったことを覚えている。2倍も売れるはずはないのに、真顔でおっしゃったのが可笑しかった。人それぞれ、自分で築きたいものがある、ということだ。
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世の中はますます騒々しく、人々はいっそう浮き足立ってきた・・・そんなやかましい時代を、静かに生きるにはどうすればいいのか? 人生を幸せに生きるとはどういうことか?
森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。
〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。