感動する対象を教えてもらう人々【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第16回
森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第16回
森羅万象をよく観察し、深く思考する。新しい気づきを得たとき、日々の生活はより面白くなる――。森博嗣先生の新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」。人生を豊かにする思考のツール&メソッドがここにあります。 ✴︎BEST TIMES連載(2022.4〜2023.9)森博嗣『静かに生きて考える』が書籍化(未公開原稿含む)。絶賛発売中。
第16回 感動する対象を教えてもらう人々
【自然の景色というのは美しいのか】
ようやく、庭園の雪が少なくなってきた。暖かい晴天が続いているためだが、暖かいといっても、東京だったら「極寒」とマスコミが煽る気温だ。降雪から1カ月が経過しても、まだ三割は残っている。雪がなくなると、苔の絨毯で覆われた綺麗な地面が現れるので楽しみ。ここへ引っ越したときは、落葉と雑草ばかりだったのだが、掃除と草刈りによって全面に苔が広がった。苦労して得た結果なので、苔を大事にしている。剥がれたりしたら、すぐに修復する。明らかに、これは自然ではない。人工的に緑の庭園を作り上げたのだ。ある意味で、自然破壊といえる。
日本人は、田舎の田園風景を見て、「自然は美しい」と愛でるけれど、田園というのは極めて人工的なものである。コンクリートのビルディングと大差はない、とまではいわないが、少なくとも自然ではない。コンクリートジャングルと呼ばれる都会の風景よりも美しいだろうか?
僕の目には、日本の田舎の風景に必ず混在する高圧線の鉄塔や電柱、ビニルハウス、ブルーシート、トタンやプラスティックで建てられ、傾きかけた掘立小屋、畑を覆うマルチと呼ばれる白や黒一色のシートなど、美しさを邪魔するものが多すぎる。
日本の建築物も、多くはあまり美しくない。その地域での統一感がなく、貧しさを強調するかのように「便利さ」と「安さ」を優先して増殖した結果に見える。「景観」を重視した建築のルールは少数かつ非優先的であるし、耐震や耐火でさえ軽視されたまま(少なくとも農地では)増築されているような印象を受ける。
これらは、敗戦後の貧しい日本の負の遺産(あるいは伝統)として、現在も残されている。もし、観光立国を目指すのならば、今後の第一に改善すべきだろう。
それにしても、自然の風景が息を呑むほど美しい、とよくいわれるのは、どうしてなのか? 大自然の景観は、見る者を圧倒する、と書かれる場合も多いけれど、すべての人が本当にそう感じるのだろうか?
たとえば、桜が咲き誇っていると、口を揃えて「綺麗だ」と評価する一方、では、伸び放題の雑草や雑木林は綺麗ではないのか? 桜の多くは人間が植えたものだから、人の手が入ったもの、つまり努力の末に得られた結果だから美しいのか?
「美しい」と感じるは、たぶん、人から教えられたから、という理由だろう。大人が「綺麗だね」「凄いね」と子供に教えている。知らず知らずのうちに、子供たちに先入観を植えつける。良い子はそれに忖度する。純粋な子供たちには、何が綺麗で、何が凄いのか、桜を見てもわからないだろう。単に、同じ色の花が沢山咲いているだけだ。面白くもないし、遊べるわけでもない。しかし、このような過程を経て、周囲に合わせて適当に受け応えをする社会性を身につける。どんどん自分の感覚を失い、素直ではなくなっていく。
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★森博嗣先生のBEST T!MES連載「静かに生きて考える」が書籍化され、2024年1月17日に発売決定。第1回〜第35回までの原稿(2022.4〜2023.9配信、現在非公開)に、新たに第36回〜第40回の非公開原稿が加わります。
世の中はますます騒々しく、人々はいっそう浮き足立ってきた・・・そんなやかましい時代を、静かに生きるにはどうすればいいのか? 人生を幸せに生きるとはどういうことか?
森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。
〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。