岡田有希子が自殺した1986年4月、世の中では何が起きていたのか【宝泉薫】
ところで、この年、岡田とは違う意味でファンをロス状態にした芸能人がいる。当時20歳の尾崎豊だ。1月に活動休止を発表して、6月に単身渡米。渡米中にクスリにハマってしまい、翌年、逮捕された。
それ以降、十代での輝きを取り戻すことはできず、92年の4月に26歳で変死。岡田と尾崎という、ふたりのY・Oは、ともに芸能的才能と芸術的志向性を併せ持ち、純粋さと自由に憧れながら、もがき苦しむという思春期的葛藤のなかで挫折していった。年齢は二歳違うが、二卵性双生児みたいな趣きがある。
ではここで、スポーツ界も見ておこう。岡田が自殺した日の夜、プロ野球において初の先発出場を果たしたのが西武ライオンズの新人・清原和博だ。
その3日前には途中出場ながら、プロ初本塁打も記録。最終的には年間31本塁打という高卒新人としての記録を作り、日本シリーズでは4番を任されてチームの日本一に貢献した。
生年月日は1967年の8月18日で、同年同月生まれの岡田(というか、佐藤佳代)より4日早い。世に知られるのも、清原のほうが早かった。岡田が歌手デビューする前年の夏、PL学園の1年生4番打者として甲子園を沸かせ、一躍注目。そこからずっとスターであり続けたが、2016年にはクスリで逮捕されてしまう。
岡田や尾崎、そして清原は筆者にとって人生有数の「推し」たちであり、その3人の運命がこうして交差するのは感慨深かったりもする。
そういえば、清原がプロを引退する頃、彼についての本を書きたいと思い立ち、86年からの全記録を調べ始めたことがある。野球殿堂博物館の資料をあたるうち、この4月には世界を揺るがした大事故も起きていたことを思い出させられた。
ソビエト連邦で4月26日(モスクワ標準時)に発生したチェルノブイリ原発事故だ。ウィキペディアを見ると、当時の最高指導者・ゴルバチョフのこんな回想が紹介されている。
「自身がペレストロイカを実施したこと以上に、ソ連崩壊の真の要因であったであろう」
実際、国力の退潮を露呈させたようなこの事故は、5年後のソ連崩壊を暗示するものでもあった。ちなみに、ロシア連邦大統領のプーチンはKGB(ソ連国家保安委員会)の出身で、現在のウクライナ侵攻にも、強大国復権への渇望が働いている。チェルノブイリはめぐりめぐって今の世界にも、影響をもたらしているわけだ。
ただ、プーチンのように、滅びを経験したことが復讐心のようなものにつながることはわりと珍しい。むしろ、無常観を抱くことのほうが多いのではないか。
たとえば、立原正秋の遺作短篇「空蝉」には、ハタチ前後で日本の敗戦に遭遇した男たちがそこで「滅亡の美しさ」を視てしまったがために、その後の人生をどこか「空蝉(ぬけがら)」のように生き、死んでいく姿が描かれている。立原は死の香りのするこの作品を書いた直後の80年4月8日に食道がんで入院、4ヶ月後に54歳で亡くなった。