みんな新しいものが好きだった。【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第18回 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

みんな新しいものが好きだった。【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第18回

森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第18回

 

【「新しい」とはどういう意味か?】

 

 簡単だ。これまでに存在しないものに対して使う形容である。過去に存在したもの、少なくとも、その記録が確認できるものは除外される。もっと簡単にいえば、世界で初めて出現したもの、それが「新しい」という意味だ。でも、この定義は一般的ではない。普通は、単に洗って綺麗にしただけのものや、まだ実際に使われていないもの、自分が知らなかったもの、などを「新しい」と表現する。

 かつて、僕の仕事は研究だった。これは、とにかく新しいことが第一条件であり、新しくなければ研究ではない、という認識で臨まなければならなかった。世界で自分が初めて知る、初めて作る、初めて解く、初めて仮説を立てる、初めて着目する、それが研究の大前提である。

 そして、「初めて」とは、比較する他者がいないということなのだ。既にいる誰かを追いかけるとか、誰かよりも良いものにするとか、ではない。その動機はビジネスライクであり、競い合って需要を狙うのが商売だ。研究には、そういったチャンスはどうだって良い。世の中の役に立つのかどうかも二の次となる。そんなことは、新しいものを生み出したあと、ビジネスライクな誰かが考えてくれる。

 したがって、商売に向いているかどうかは、よくわからない。確実に「これが売れる」とわかっていても、それはやらない。何故なら、「既にある」からだ。

 作家になっても、このスピリットが未練がましく残っていたから、やる気になれないものが多かった。「ドラマになりそうなもの」「名探偵もの」などは、あからさまに避けて通ったし、また自分が書いたシリーズでさえ、それらが出回ってファンがついた頃には、「もうこれはある」ものになって、新しくないものはできないな、という力が働いた。

 映画やドラマを見ていて、「これは面白いな」と感じたものは、自分では書かない。知れば書けなくなる。だから、できれば傑作に出会いたくない。出会えば、それは自分の創作の障害になるだけだ。そう考えていた。

 ところが、最近になって(つまり歳を取って)、少し変化があった。小説家として引退したこともあって、傑作に出会って障害に囲まれても、もうそれらを避けたり、突破しなくても良い、という気持ちになれた。

 一番の原因は、新しいものをやり過ぎたこと。2番めは、そのやりかけたプロジェクトが溜まり過ぎたこと。残りの人生で、このやりかけ全部を消化することは無理だとわかったので、しかたがない。ゆったりと構えて、これらを少しずつ片づけていくか、といったあたりが、今の心境である。といっても、いつまた新しいことを思いつくかもしれないから、断言はできませんけれど……。

次のページ行楽のシーズン?

KEYWORDS:

 

✴︎森博嗣 新刊『静かに生きて考える』発売忽ち重版!✴︎

 

 

森博嗣先生のBEST T!MES連載「静かに生きて考える」が書籍化され、2024年1月17日に発売決定。第1回〜第35回までの原稿(2022.4〜2023.9配信、現在非公開)に、新たに第36回〜第40回の非公開原稿が加わります。

 

 

 世の中はますます騒々しく、人々はいっそう浮き足立ってきた・・・そんなやかましい時代を、静かに生きるにはどうすればいいのか? 人生を幸せに生きるとはどういうことか?

 森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。

 〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。

 

オススメ記事

森博嗣

もり ひろし

1957年愛知県生まれ。工学博士。某国立大学工学部建築学科で研究をするかたわら、1996年に『すべてがFになる』で第1回「メフィスト賞」を受賞し、衝撃の作家デビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか、「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、また『The cream of the notes』シリーズ(講談社文庫)、『小説家という職業』(集英社新書)、『科学的とはどういう意味か』(新潮新書)、『孤独の価値』(幻冬舎新書)、『道なき未知』(小社刊)などのエッセィを多数刊行している。

 

この著者の記事一覧

RELATED BOOKS -関連書籍-

何故エリーズは語らなかったのか? Why Didn’t Elise Speak? (講談社タイガ モ-A 18)
何故エリーズは語らなかったのか? Why Didn’t Elise Speak? (講談社タイガ モ-A 18)
  • 森 博嗣
  • 2024.04.12
静かに生きて考える
静かに生きて考える
  • 森博嗣
  • 2024.01.17
道なき未知 (ワニ文庫)
道なき未知 (ワニ文庫)
  • 博嗣, 森
  • 2019.04.22