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「君はアントニオ猪木なんだから」大ブーイングを浴びてきた棚橋弘至を支えたスタッフの一言【篁五郎】

写真:棚橋弘至選手のXより引用

 

◾️逸材だけが気づいていた「レインメーカー・ショック」

 

 プロレス界にも会社組織と同様に世代闘争がある。アントニオ猪木しかり、ジャイアント馬場しかり、長州力や藤波辰爾、武藤敬司、蝶野正洋しかり、多くの有名レスラーがそれを経験してきた。

 棚橋も下からの突き上げを感じている。象徴的な出来事が「レインメーカー・ショック」だ。

 2012年14日の東京ドーム大会で、棚橋は当時のIWGPヘビー級王座連続防衛回数の新記録となる11回を達成。年始から最高のスタートを切った。

 その棚橋の前に立ったのが同日に凱旋試合を行ったオカダ・カズチカだった。そのオカダが棚橋に向かってこう言い放った。

 「これからは逸材に変わって、レインメーカーがプロレス界を引っ張っていきますので、棚橋さん、お疲れ様でした」

 会場からブーイングがオカダに飛んだ。それもそのはず。オカダの凱旋試合はさしたる盛り上がりも見せずに終わったからだ。ファンからは「まだ早い」という意味のブーイングだったのだ。しかしベルトへの挑戦が認められたオカダは一発で棚橋に勝利。この年、オカダはプロレス界を席巻することなる。当時を振り返って棚橋はこう語る。

  「あの年は34歳で肉体的にも精神的にも充実していたし、前年にプロレス大賞MVPも受賞して絶好調だったんですよね。レスラーとして脂が乗っていた時期でもあったんですよ。

 でも1月の東京ドームの後、2月に(オカダに)負けたんですけど、その間に短いシリーズがあって、前哨戦を毎日のようにやったんです。そこでオカダのすごさに気づいたんです。お客さんもほとんど気づいてなかった。だからこそ『レインメーカー・ショック』と言われて、今でも語り継がれているのとで、僕もまだレインメーカー・ショックの傷が治りきってないです。かさぶたが残ってます()

  でも、オカダが出てきてくれたから2010年代に新日本プロレスの飛躍があったのは間違いないです。彼がいなければ中邑(真輔)もWWE(※注3)へ行っていませんしね。オカダの登場は新日本プロレスを変えましたよ」

  それから棚橋とオカダの戦いは新日本プロレスの黄金カードとなった。2013年、2015年、2016年の東京ドーム大会ではメインカードを飾り、多くのプロレスファンを興奮させた。2018年には、当時IWGPヘビー級チャンピオンだったオカダが棚橋の連続防衛記録に並ぶ11回を達成。新記録を阻止するべく棚橋が立ち上がったこともある。

 そしてオカダが凱旋帰国前に、棚橋の後継者と呼ばれていた内藤哲也は次期エースの座から転落。そこから路線を変更して這い上がり、今ではプロレス界のトップにまで登り詰めた。オカダ・カズチカという存在が、内藤にとっても大きな存在だったと言える。

 

※注3:WWEとは、世界最大のプロレス団体。日本でもAbemaで生配信されており、世界中に放映されている。ハリウッド俳優のドウェイン・ジョンソンは、ザ・ロックというリングネームでリングに上がっている。

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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