万葉集に隠された石川女郎の正体!!
『日本書紀』が隠し、『万葉集』が暴いた?
石川女郎の正体!!
歴史を解くヒントは、いろいろなところに転がっているものだ。 もっとも分かりやすい例が、『万葉集』だ。
『万葉集』編者は『日本書紀』が隠してしまった歴史の真相を、歌や題詞(だいし)を駆使して明らかにしようとしている。『万葉集』は、ただの歌集ではない。
大津皇子(おおつのみこ)の謀反(みほん)事件の裏側を暴いていたのも『万葉集』だ。『日本書紀』は黙して語らないが、大津皇子が東国に向かっていたことは、『万葉集』の記事がなければ、永遠に隠匿(いんとく)されていただろう。『日本書紀』が隠し、『万葉集』が暴いたのだ。
『万葉集』は、この事件に関して、もうひとつ興味深い記事を載せていた。それが、石川女郎(いしかわのいらつめ)をめぐる大津皇子と草壁皇子の、恋の鞘当てだった。ただしこの話、現実に起きていたわけではなさそうだ。問題は、「石川女郎」が実在したかどうか、怪しいところにある。
『万葉集』に石川女郎(石川郎女)なる人物が、世代をまたいで登場する。 だから通説は、「石川女郎は同一人物ではない」と考える。
これは当然のことだ。しかし、「長い年月の間に登場する石川女郎」には、はっきりとした共通点がある。それは、「執拗に男を誘惑する、かなり積極的な魔性の女性」ということなのだ。
ひょっとして、「石川女郎」は『万葉集』編者の編み出した「隠語」ではなかったか。
「石川」といえば、「蘇我氏」を指しているからである。
「石川女郎=蘇我氏」とみなせば、草壁皇子と大津皇子が、「蘇我氏の支持を取りつけるために必死になっていた」「石川女郎=蘇我氏は草壁皇子を見限り、大津皇子を選んでいた」と解釈することが可能となる。
たとえば大伴旅人(おおとものたびと)の弟で容姿端麗と噂された大伴田主(おおとものたぬし)を、石川女郎は「風流人」と持ち上げ、「それなのに宿も貸さずに私を帰してしまうとは、間抜けなことですね」と叱責している。
大伴氏といえば、最後まで残った反藤原派なのだが、名門ゆえに、どこか腰が引けたところがあって、徹底抗戦できぬままに、衰退した。
石川女郎=蘇我氏は、それをなじっていたと解釈できる。
蘇我氏といえば、乙巳の変(いっしのへん)(六四五)によって衰弱したと思われがちだが、実際には、石川刀子娘貶黜(いしかわのとねのいらつめへんちゅつ)事件(七一三)が勃発するまで、隠然たる力を保ち続けていたのだ。
その大きな存在を『万葉集』は「石川女郎」なる隠号を用いて明らかにしたのだろう。
『異端の古代史シリーズ⑥ 持統天皇血塗られた皇祖神』コラムより