適度な自己中のすすめ【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第27回 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

適度な自己中のすすめ【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第27回

森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第27回

 

【自己中はそんなに悪くない】

 

 この頃では、自分勝手、自己中はとにかく「悪」だと誘導されがちである。特に、友達や仲間を重要視する協調の押しつけが、今の子供や若者たちを萎縮させる圧力となっているように観察される。彼らは、いつも笑顔で元気でいなければならない。それができない人に出会うと、まず「友達になりたくない」という言葉が出てくる。人の価値を、友達になれるかどうかで測っている様子が窺える。「あの人は個性的で素晴らしい才能を持っているかもしれないけれど、でも、友達にはなりたくないよね」とおっしゃる。この後半の物言いが多出する。前半はその人の評価であり、後半は自分の嗜好、というよりも無意識の社会忖度と見える。

 ホームズもモーツアルトもダ・ヴィンチも、才能はあるけれど、きっと友達にはなりたくない人格だっただろう。いちいち「友達になりたいかどうか」といった、問われてもいない評価が漏れ出る物言いが示唆するのは、普通の人たち、つまり、自己中と偽善の間で揺れている常識人が、自身の立ち位置を保持したい欲求の存在である。自由奔放と仲間意識の間で、そのポジションを模索しているのだ。しかし、その目的は、近づきたくない両極と同じく、やはり自己利益だということを忘れてはならない。

 結局のところ、方針や手法が異なっていても、求めるものは自己利益なのである。自分勝手な人はこれを言葉で宣言し、また道徳的な正義感の持ち主はそれを言葉で包み隠す、という違いがあるだけだ。またその中間で生き方を模索する常識人たちも、その両極に反発するため、言葉だけで防衛しようとしている。どちらなのか、と迷う状況自体が、言葉の錯覚に囚われている。

 日本の別れの挨拶に、「お大事に」というものがある。手紙では、「ご自愛下さい」と書いたりする。「お大事に」の目的語は「あなた」である。「ご自愛」とは、言葉のとおり、自分を大事にしなさい、という意味。さらに、「自重」という微妙な表現もある。自分を大事にするという意味もあれば、欲求を抑えて周囲に合わせろ、という意味でも使われる。自分を大事にするのは、自分勝手なのか、それとも周囲との協調なのか。ここでも、まったく同じ判断がつき纏う。

 さて、個人の権利は憲法でも定められている。意思や発言は自由である。なにかの疑惑が持ち上がったときに黙秘する権利も認められていて、「説明責任がある」と非難されても、自分に不利なことを話さないのは間違っていない。ところが、周囲はそれを「悪」と捉えてさらに攻撃する。この現象も、上記の揺れと同じだ。

 他者に迷惑をかけない範囲でならば、なにをしても良い。どう考えても良い。自分が好きなように生きれば良い。これが人権の基本中の基本である。

 友達を作るなんて面倒なことはしたくない、と思う人もいる。そういう個人主義は、かつては「変人」扱いされたが、今は堂々と生きられる。変人扱いする方が「悪」になった。

 自分中心で、自分勝手に、我がまま放題に生きれば良い。とはいえ、それを実現するためには、ちょっとした工夫や苦労が必要になる。ときには頭を下げ、無理にでも微笑んで、挨拶しなければならない場合もあるだろう。馬鹿馬鹿しいと感じても、演技をするつもりで、同調したように見せかければ良いだけだ。そういう生き方が可能な社会になった。気持ちや考え方まで、みんなに合わせる必要はない。

 「道徳」というものが、もし今も存在するなら、それは、あくまでも行動の軌範であって、思想の軌範ではない。

次のページもう秋

KEYWORDS:

 

✴︎森博嗣 極上エッセィ好評既刊✴︎

静かに生きて考える   Thinking in Calm Life

✴︎絶賛発売中✴︎

 

 

森博嗣先生のBEST T!MES連載「静かに生きて考える」が書籍化され、2024年1月17日に発売決定。第1回〜第35回までの原稿(2022.4〜2023.9配信、現在非公開)に、新たに第36回〜第40回の非公開原稿が加わります。

 

 

 世の中はますます騒々しく、人々はいっそう浮き足立ってきた・・・そんなやかましい時代を、静かに生きるにはどうすればいいのか? 人生を幸せに生きるとはどういうことか?

 森博嗣先生が自身の日常を観察し、思索しつづけた極上のエッセィ。「書くこと・作ること・生きること」の本質を綴り、不可解な時代を見極める智恵を指南。他者と競わず戦わず、孤独と自由を楽しむヒントに溢れた書です。

 〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。

 

オススメ記事

森博嗣

もり ひろし

1957年愛知県生まれ。工学博士。某国立大学工学部建築学科で研究をするかたわら、1996年に『すべてがFになる』で第1回「メフィスト賞」を受賞し、衝撃の作家デビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか、「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、また『The cream of the notes』シリーズ(講談社文庫)、『小説家という職業』(集英社新書)、『科学的とはどういう意味か』(新潮新書)、『孤独の価値』(幻冬舎新書)、『道なき未知』(小社刊)などのエッセィを多数刊行している。

 

この著者の記事一覧

RELATED BOOKS -関連書籍-

静かに生きて考える
静かに生きて考える
  • 森博嗣
  • 2024.01.17
歌の終わりは海 Song End Sea (講談社文庫 も 28-86)
歌の終わりは海 Song End Sea (講談社文庫 も 28-86)
  • 森 博嗣
  • 2024.07.12
道なき未知 (ワニ文庫)
道なき未知 (ワニ文庫)
  • 博嗣, 森
  • 2019.04.22