スイス・アルト=リギ鉄道平坦線【前編】廃線をしのぶ「電車みち」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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スイス・アルト=リギ鉄道平坦線【前編】廃線をしのぶ「電車みち」

ぶらり大人の廃線旅 第5回

 スイス中央部にルツェルンLuzernという湖畔の町がある。その約15キロ東に聳えるリギRigi山(標高1797.5メートル)は、南西側にフィアヴァルトシュテッテ湖Vierwaldstättersee、北東にツーク湖Zugerseeを俯瞰する「絶景の山」として古くから知られていた。山名はラテン語の「山の王女Regina montium」に由来するという説が流布されているが、地名学的にいえば色気はないものの「地層の山」というのが妥当らしい。

ヨーロッパ最初の登山鉄道が通じた山-リギ

 絶好の展望台ゆえに欧州最初の登山鉄道であるフィツナウ=リギ鉄道Vitsnau-Rigibahnが明治4年(1871)という早い時期に開通した。日本ではようやくその翌年に初の鉄道が新橋~横浜(現桜木町)間を走り始めている。この登山鉄道はスイスの鉄道技師ニクラウス・リッゲンバッハNiklaus Riggenbach(1817~1899)が発明した、レールとレールの間に梯子状の特殊なレールを敷き、これに機関車の歯車を噛み合わせて急勾配をよじ登る方式で、今は電車だが当初は蒸気機関車が客車を牽引していた。

 このように歯車を使う方式を歯軌条鉄道Zahnradbahnまたはラック鉄道Rack railwayと呼ぶが、日本では明治26年(1893)に信越本線の横川~軽井沢間(碓氷峠)に初めて採用されたアプト式(スイス人技師カール・ローマン・アプトCarl Roman Abtが発明)がよく知られている。

 この登山鉄道に私が最初に乗ったのは2011年(平成23)の夏であった。まさに絶景を堪能したリギ山からの帰りは東側へ下りる別の登山鉄道を利用したが、そちらがアルト=リギ鉄道である。その日は麓の起点駅近くのアルト=ゴルダウArth-Goldau駅で国鉄に乗って別の場所へ向かったのだが、待ち時間に駅前郵便局に掲げられた案内地図を見ていてトラム通りTramweg(「電車みち」というニュアンス?)を図上に見つけたのがこの廃線歩きのきっかけだ。ツーク湖に面したアルトArthの港へ向かうその道は明らかに廃線跡を思わせるカーブを描いており、しかもそのアルト市街には駅通りBahnhofstrasseという通り名さえある。

 

写真を拡大 ツーク湖に面したアルトの町。湖畔の9(船着場)付近から東へ伸びる Bahnhofstrasse(駅通り)が駅跡、そこから南東へ緩い曲線を描いて続くTramweg (電車通り)が廃線跡。

 

写真を拡大 国鉄アルト=ゴルダウ駅付近。赤丸内の71がその駅舎、その左の81から南下する のが現在のアルト=リギ鉄道。画面左上から来たTramweg(電車通り)が Bahnhofstrasse(駅通り)のhの字でぶつかった先に国鉄の線路をくぐる場所が橋桁の残っていた箇所(脇には歩道も)。かつてはBlockwegを経て現アルト=リギ鉄道につながっていたらしい
 

 これは廃線に間違いないと確信した私は、帰宅してから手元にあった1924年発行の「ベデカ」(当時世界的に売れていた旅行ガイド)で確かめると、やはり線路が描かれていた。調べてみるとアルト=リギ鉄道の登山線とは別の「平坦線」で、そちら専用の電車がアルト~ゴルダウ(国鉄駅前)間の約3キロを1959年まで走っていたそうだ。廃止からすでに半世紀以上経っているが、ここへ来る機会があればぜひ歩いてみようと思っていた。

 

写真を拡大 リギ周辺ベデカ図(1924)

 

廃線をしのぶ「電車みち」を歩く

 そして2016年8月、5年ぶりの再訪である。チューリヒからイタリア・ミラノ行きのEC特急でアルト=ゴルダウ駅に着いたのは午後6時過ぎで、夏だから夕日が射してまだまだ明るいのだが、宿を予約していなかったので湖畔の町へ急いだ。古い湖畔の宿に空室が見つかったので一息ついた後、宿のレストランで夕食。店は宿の亭主と奥さんが2人で切り回しているようで、賑やかな10人ほどの宴会があって対応に忙しそうである。

 その合間に奥さんに廃線の話を聞いてみると、私は他所から来たので電車が走っていた時代のことは知らないという。ただ、気になったのは「ヨーロッパでいちばん高いトンネルがあるんですよ」という話である。高所のトンネルなら、たかだか標高500メートルに満たないこの地域ではなくアルプスにいくらでもあるだろうし、どうもイメージがつかめない。私のドイツ語の未熟さゆえに重要なキーワードを聞き逃したのだろうか。

 宿代は先払いで、「出かけるときは部屋の鍵をそこへ置いといてね」と言われていたので、翌朝は静まり返った宿を出てすぐ廃線跡へ向かった。抜けるような快晴で、宿からすぐの港へ出ると、湖面の向こうに聳えるリギ山には、なるほどリギ(層序)の名にふさわしく岩の層がはっきり斜め横向きに続いている。まずは駅通りBahnhofstrasseへ行ってみたが、やはり半世紀の歳月は駅の痕跡を消し去ってしまったようで、何も見つからない。通り名の標識だけが過去を物語るのみだ。

 そこから続くトラム通りは歩行者専用道で、朝の散歩の人が多い。挨拶するとスイス・ドイツ語の「グリュツィ」が微笑で返ってくる。町を抜けると線路跡らしい緩やかなカーブが牧草地の中に続いており、立ち止まると遠くに放牧された牛たちが草を食む時に鳴るカウベルのカラコロ、カラコロという音が、風に混じって断続的に聞こえてくる。まさにマーラーの交響曲の世界だ。遠くの斜面の中腹を、チューリヒからアルト=ゴルダウ駅方面へ向かう列車が通り過ぎていく。後述するが、これがアルトの町を素通りしてしまったゴットハルト鉄道(現スイス国鉄)である。

 

写真を拡大 緩いカーブを描いて牧草地の中に続く廃線跡のTramweg(電車通り)。

写真を拡大 廃線をしのぶTramweg(電車通り)の道路名標識。オーバーアルトOberarthにある車道との交差地点にて。かつては踏切だった。

 

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今尾 恵介

いまお けいすけ

1959年横浜市生まれ。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。旅行ガイドブック等へのイラストマップ作成、地図・旅行関係の雑誌への連載をスタート。以後、地図・鉄道関係の単行本の執筆を精力的に手がける。 膨大な地図資料をもとに、地域の来し方や行く末を読み解き、環境、政治、地方都市のあり方までを考える。(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査、日野市町名地番整理審議会委員。主著に『日本鉄道旅行地図帳』『日本鉄道旅行歴史地図帳』(いずれも監修/新潮社)『新・鉄道廃線跡を歩く1~5』(編著/JTB)『地形図でたどる鉄道史(東日本編・西日本編)』(JTB)『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み1~3』『地図で読む昭和の日本』『地図で読む戦争の時代』 『地図で読む世界と日本』(すべて白水社)『地図入門』(講談社選書メチエ)『日本の地名遺産』(講談社+α新書)『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)『日本地図のたのしみ』『地図の遊び方』(すべてちくま文庫)『路面電車』(ちくま新書)『地図マニア 空想の旅』(集英社)など多数。


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