「松本氏性加害疑惑」は「ロス疑惑」と同じ道を辿るのか?【窪田順生】
『ありがとう、松ちゃん』より
■「ヒーローの転落」が数字を稼ぐ
さて、日本のテレビ局が「文春コピペ報道」へ流れる組織内力学がご理解いただけたと思うが、そこで新たな疑問が浮かんでくるだろう。「自分たちで取材ができないなら文春記事をコピペするんじゃなくて、裁判の行方を静観すればいいのになぜそれをやらない?」というものだが、これはテレビというメディアの特性から難しい。
人の不幸やバトル、内部告発などスキャンダルを扱うYouTubeやTikTokが大バズりすることからもわかるように、映像メディアは視聴者の「喜怒哀楽」、その中でも「負の感情」を刺激することでアクセス数を稼ぐ。つまり、テレビにとって「松本人志というテレビのヒーローがスキャンダルで転落する姿」は、確実に視聴率が稼げるキラーコンテンツなのだ。
自分たちで松本氏を文化人のように持ち上げておいて、それを手のひら返しでバッシングするなんて、いくらなんでも節操がなさすぎると思うかもしれないが、自分たちでヒーローを祭り上げて数字を稼ぎ、週刊誌スキャンダルが出たら、そっちに便乗して「ヒーローの転落」を騒ぎ、またさらに数字を稼ぐというのは、昭和の時代から続くテレビの極めてベタな手口だ。
■松本性加害疑惑とロス疑惑の類似性
わかりやすい例が、ロス疑惑だ。1981年、輸入雑貨を営む三浦和義氏が妻と米ロサンゼルスで銃撃された。妻は意識不明の渋滞で三浦氏も足を撃たれた。その後、米軍に協力してもらい、どうにか日本に帰国をして懸命の治療をおこなったが妻は死亡。マスメディアは、三浦氏を「悲劇の夫」として持ち上げて大々的に報じた。
しかし、それから3年ほど経過して「週刊文春」が、三浦氏が妻に多額の保険金をかけて殺害したのではないかという疑惑を報道する。「悲劇の夫」から「疑惑の夫」への転落というストーリーにメディアは食いついたが、中でも「過剰」というほど文春報道に依存をしたのがテレビだった。ワイドショーでは、三浦氏を文春同様に「犯人」と断定的に報じて、少年時代や育成環境、さらには過去関係をもったという女性たちまでプライバシーを暴きまくったのである。
いかがだろう。昭和と令和の人権意識の違いはあるものの、テレビが松本人志氏にやっていることは、ほとんど変わりがない。ヒーローとして持ち上げて、数字を稼ぎ、「週刊文春」が「あいつはクロだ」と断定をすれば、今度はそっちに乗っかって、「堕ちたヒーロー」と断定して叩いて数字を稼ぐ。テレビの人権侵害は、昭和から何も進歩していない。ということは、松本氏の性加害疑惑もロス疑惑と同じような結末を迎える可能性もあるということだ。
文春とワイドショーから「犯人」と断定された三浦氏は、長い裁判を経て、最高裁で無罪が確定した。そこに至る過程でも、プライバシーを侵害したメディア企業を名誉毀損で訴えまくった。無罪判決後、私はある雑誌で、三浦氏の担当編集をした縁で、友人付き合いをさせてもらっていて、このメディア訴訟について、公判資料とともに本人に説明してもらったが、テレビや新聞など大手マスメディアに、ほとんど勝っていた。
果たして、松本氏性加害疑惑は「ロス疑惑」と同じ道を辿るのか。注目したい。
〈『ありがとう、松ちゃん』より構成〉