稲葉貞通の兜・甲冑研究家の秘蔵コレクション
名将甲冑大全 第11回
稲葉貞通(いなばさだみち)は稲葉良通(よしみち)の子で美濃国郡上八幡5万石の城主。父良通は(稲葉一鉄/いなばいってつ)の名で知られ、「一徹者」という言葉は、この良通の性格から出ているという。良通は西美濃の有力衆で、土佐・斉藤家に仕え(稲葉良通・氏家卜全(うじいえぼくぜん)・安藤守就(あんどうもりなり))美濃三人衆と呼ばれた一人でもある。貞通は信長・秀吉に仕え、関ヶ原の合戦の時は西軍に応じ、居城で遠藤慶隆(えんどうよしたか)・金森可重(かなもりありしげ)の軍を撃退し、さらに、遠藤慶隆の居城犬山城を攻め奪い取っている。しかし、15日の決戦前に東軍家康に降伏し、福島正則(ふくしままさのり)・井伊直政(いいなおまさ)の尽力に拠り所領を安堵されている。戦後、稲葉家は臼杵城5万石で転封となったが、貞通は入城せず、京都で客死している。3代将軍家光の乳母、おふくは貞通の姪にあたる。
この兜は関ヶ原の合戦で貞通が犬山城攻めの際に着用したものと伝える。兜は鉄地黒漆塗三十二間筋鉢で、鉄地黒漆塗板物五枚を黒糸で素懸威しとした饅頭しころを付す。茶人として知られる貞通の着料にふさわしくシンプルで、優雅な曲線に気品と迫力が見て取れる一頭である。