週刊文春の「名誉毀損ビジネス」を糾弾する【村西とおる】
『ありがとう、松ちゃん』より
■「書いたモン勝ち」の活字テロは許されるのか
この本を通じて訴えたいことはもう一つあります。週刊文春の「文春砲」なる「表現の自由」に名を借りた、著名人をターゲットにした「書いたモン勝ち」の活字テロがいつまで許されるのか、ということです。
週刊文春は、検証すればこれまで幾多の「文春砲」なる著名人に対するスキャンダラスな「捏造記事」を掲載し、被害にあった著名人から「名誉毀損」の裁判を起こされ、敗訴してきました。万能感に満たされた顧問弁護士と法務部を有する天下の文藝春秋社の正体とは、目を覆うような無責任極まりない「書き得ビジネス」の本舗であったということです。
週刊文春は2001年1月から3月まで3回に及んで「考古学者である別府大学賀川光夫教授の旧石器捏造疑惑」の記事を掲載しました。
これに対し賀川教授は「死をもって抗議する」と遺書を残し、自宅で首を吊って自殺をしました(享年78歳)。このことで遺族側は文藝春秋社に対し損害賠償と謝罪広告の掲載を求めて訴訟を起こし、2004年7月15日名誉毀損を認めた最高裁判決が確定しています。この裁判の過程で福岡高裁・小林克己裁判長は一審が文藝春秋側に命じた賠償額660万円を260万円増額、「記事は一方的な取材に基づいて執筆したことは報道機関としては著しく軽率」「自己の正当性のみを強調し、遺族の神経を逆なでするような内容」と断罪したのです。
判決を受けた原告の遺族は「これ以上、報道被害を広げないでほしい」と訴えましたが、賀川名誉教授の「抗議の自死」について、現週刊文春発行人の新谷学氏は「結果的に自殺するんだったらしょうがない」と語られたといいます。
人の命より優先されるべき報道の自由などないにもかかわらず、かくのごとき人権意識の持主が週刊文春の発行責任者の任にあるのでございます。
■現実に起こっている「デッチ上げ報道」の真実
こうした週刊文春の傍若無人、人でなしともいえる報道姿勢を象徴するのが、この賀川名誉教授の一件の後、2003年5月にデッチ上げた「福岡殺人教師事件」の報道です。この件については福田ますみ著『でっちあげー福岡「殺人教師」事件の真相』(新潮文庫)に詳しいのですが、週刊文春の悪行ともいえる、懲りない無責任な報道姿勢には今更ながらに驚かされます。
事件は川上譲(仮名・46歳)教師が担当した4年生の男子生徒のモンスターペアレントの両親の「担任の川上先生は息子に体罰を加えた上に〞お前のような血の穢れた人間は生きている価値がない、早く死ね〞などと自殺を強要した」との訴えを真に受けた週刊文春が大々的に「福岡の殺人教師」として記事を掲載したことから始まりました。が、その頃はまだテレビ局も「文春砲」なるものとは冷静に距離を置いていて、週刊文春のように一方的に児童の両親の訴えを取り上げることなく独自取材を行い、加害者とされた川上教諭の釈明も報道しました。中でもテレビ朝日「スーパーモーニング」では番組の女性レポーターが他の保護者等への現地取材を重ね「学校内でそうした噂が出た事実はない」と疑問を投げかけたのです。
これに対し週刊文春は「史上最悪の殺人教師を擁護した史上最低のテレビ局」と銘打って同番組を激しく非難し、レポーターの実名を挙げ「テレビに良識を求めるのは、八百屋で魚を求めるようなものなのか、教師の反論を垂れ流し、更に児童や両親を追い込もうとするテレビ局、あなた方に果たして人間の良心というものがあるのか」と、今日においても松本人志氏「性加害問題」として鉄面皮に報じる週刊文春にピッタリ当てはまる罵倒で記事を締めくくっています。
■足掛け6年に及ぶ裁判で教師の無実は証明
結果は足掛け6年に及んだ裁判で教師の無実は証明され、その後福岡市人事委員会の判定で、加害者とされた川上教諭に下された処分は全て取り消されましたが、この間10年を要しました。
週刊文春のデッチ上げ報道のせいで、なんの罪もない善良で真面目な一教育者である教諭が、10年に及んで塗炭の苦しみを味わわされた無念を思う時、改めて週刊文春の「書くだけ書けば、あとは野となれ山となれ」の人権無視の非道に、怒り心頭の気持ちとなってございます。
週刊文春は賀川光夫名誉教授に対する名誉毀損の報道を行った同時期の2001年5月31日号で「仰天の内部告発、化粧品会社DHC社長『女子社員満喫生活』」との記事を掲載。DHCから提訴され、2004年2月最高裁第一小法廷・泉徳治裁判長は東京地裁が命じた170万円の賠償金の3倍以上の550万円の支払いを命じた東京高裁の二審判決を支持しました。