ビンボー武士は「身分」を売り内職をしていた! タメになる江戸の実話。
下級武士の生活事情 第2回
■収入は米の現物支給!借金に苦しんだ家計事情
下級武士は知行地(ちぎょうち)を持つことの多い旗本とは違い、領地を持っていなかった。そのため、米が現物支給された。幕府の場合、米1俵は3斗5升入りである。100俵なら35石。この俸禄米(ほうろくまい)が年3回に分け支給された。2月、5月に4分の1ずつ、10月に2分の1が支給された。また、扶養手当にあたる扶持米は一人扶持が1石8斗であり、月末に支給された。
百石という形で家禄が設定される場合もあるが、百石の収穫がある土地を与えた形を名目上取ったに過ぎず、実際は米で支給された。それも100石ではなく、年貢率を35%と認定し35石を支給した。百石取と百俵取は実質同じだった。
隅田川沿いの浅草御蔵(おくら)などに収納された幕領の年貢米が、下級武士たちへの俸禄米にあてられた。札差(ふださし)と呼ばれる商人がその受け取りや換金業務を代行し、現金を受け取ったが、ほとんど例外なく札差に多額の借財があったため、その分が差し引かれている。よって、俸禄米だけでは生活できなかったのが実情だった。当人や家族が傘張りなどの内職にいそしむのも、下級武士の家庭ではごく普通の光景になっており、御家人株を売って武士身分を捨てる者さえみられたのである。
文・安藤優一郎(歴史家)