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一生、親であることを降りられない社会

現在観測 第46回

 「保育」「介護」など、身近なところにさまざまな「ケア」問題があふれている現代。その中でも特に、障害のある子どもを持った家庭というのは、親が親であること以上に「親」であることを求められることがわかっています。しかし、そのいびつな比重は果たしてこのままでいいのでしょうか。佛教大学准教授田中智子氏に寄稿していただきました。

 

 

 日本ケアラー連盟の調査によると、現在の日本で5世帯に1世帯には、誰かのケアラー(直接的な介護をする人や見守りをする人を含む)となっている人がいて、そのうち4人に1人は複数のケアをしているとのことである(http://carersjapan.com/activities.html#resaerch)。また、OECDによると、先進地域での障害の出現率は平均10%を超えており、何らかの配慮を必要とする人は私たちの周りに自然といるということになる(OECD編著・岡部史信訳(2004)『図表でみる世界の障害者政策』明石書店)。つまりは、ケアというのは誰にとっても身近な問題であるにもかかわらず、ケアに関わる問題や大変さというのはなかなか聞こえてこない。 

 “ポストの数ほど保育所を”と親たちの声が保育所を大きく広げたのが高度経済成長期、“介護の社会化”を標した介護保険制度が始まったのがミレニアムと騒がれた2000年、その後、果たして家族内のケア負担は軽くなったのであろうか? 答えを先回りして言えば、“否”まったく軽くはなってはおらず、むしろ重くなったため、親が親であることを求められる期間は長くなり、その役割と責任はより一層重くなっている。

 特に、一般的な子育てと比べても質も量も多くを求められると考えられる障害のある子どもと親は、親子分離のタイミングを逃してしまい、ニュースなどでも度々取り上げられる「老障問題(高齢になった親が障害のある子どもをケアすること)」につながる。

 このようなケアを通じて、なぜ親が親であることを降りられないのかを考えてみたいと思う。

◆障害を持った子を産むと……すべて夢で終わる? 

 障害のある子どもが生まれた後の親の生活の様子をみてみよう。

 まず、わが子に知的障害や発達の遅れがあるとわかるきっかけは、1歳半健診や3歳健診などの場合が多い。専門家に「障害」と言われても、どうしても信じられない場合(信じたくはない場合もあるだろう)、あるいは、どうにかしたら治るかもと思う場合など、セカンドオピニオンや、名医と言われる評判を聞きつけて、いわゆる「ドクターショッピング」と言われるように病院や専門機関を渡り歩くことになる。この時期の子どもへの働きかけは、親子教室や母子訓練、母子入院など、常に親子セットであることが求められるので、多くの場合、母親が育休明けの仕事復帰を迷いながらも諦めることとなる。
 私が出会った母親のなかにも「結婚前は、出産して育児がひと段落したら再就職という夢を描いていましたが、それはすべて夢で終わりました」と語ってくれた人がいる。

 次に学齢期になると、周りの親たちは子育てがひと段落したということで働きに出る場合も多いが、障害のある子どもを持つ親の場合は、学校への送迎・行事への付き添い、障害を理由に放課後過ごす場所が見つからないなど、仕事と子育ての両立に悩むいわゆる「小1プロブレム」が何度もやってくる。小1だけではなく、学童保育の年限が切れる小4(最近では、小6まで利用できる学童保育も多い)、中学校入学時、高等部入学時など越えても越えても母親が就労することや自分の時間を持つことを阻む大きな壁が立ちはだかっているのである。
 毎日、16時頃には帰ってくる身体の大きくなった子どもと放課後、何時間もバスに乗って過ごしている母親は、限界と感じながらも「それをしなければ、子どもの機嫌が悪くなって、生活が回らない」と疲れた顔でつぶやく。

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田中 智子

たなか ともこ

広島大学大学院社会科学研究科・佛教大学大学院社会福祉学研究科退学。2008年4月より佛教大学社会福祉学部・講師。2013年4月より准教授。

研究テーマは、障害者家族の生活問題・貧困問題。


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