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一生、親であることを降りられない社会

現在観測 第46回

◆「親であるということ」>「自分であるということ」

 大人になってもその壁はなくならない。ただし最近では、放課後等デイサービスなど学齢期の放課後余暇支援などが充実しつつあることもあって、むしろ18歳以降に福祉施設に通い始めた後の“放課後問題”が表面化しつつあり、子どもが学齢期の頃は働けたのに大人になると働けなくなるという矛盾した問題も生じてきている。子どもに障害がありながらもなんとかやり繰りして、20年近いキャリアを重ねた母親が、子どもが高等部を卒業して福祉施設に通うようになった途端、本当に泣く泣く仕事をあきらめるというケースもある。

 そして、親が高齢になってそろそろ身体がしんどくなってきても、グループホームや入所施設など、障害のある人の暮らしの場はまだまだ不足している。したがって、前述した親子分離の問題が生じてくるのである。

 親、特に母親は、生涯を通じて、仕事や趣味、友人づきあい、ときには夫婦の時間などの親以外の“自分の時間”をあきらめて「親であること」を最優先して生きざるを得ない。そして、そのような生活は同年代の女性や母親たちの生活とは年々隔たりが大きくなる。そのような生活を送る障害者の家族の間には、「親亡き後」問題という言葉が今も昔も存在するが、「障害のあるわが子より一日だけ長く生きていたい」という思いは、親にとって嘘偽りのない思いなのかもしれない。

 

 高齢になった親の介護をする場合には、「仕事があるから難しい」「子育てとの両立は無理」などと周囲にヘルプを求めることが社会的にも認められている(高齢者介護を支える制度や資源は十分ではないが……)が、わが子のケアとなると「難しい」「無理」と周囲に助けを求める声は抑制されてしまう。最近では、“キャラ弁”や“お絵かきアート”など「子育てを楽しんでます!」ということがアピールされる風潮の中で、ますます「子育てが大変」や「自分の時間がほしい」という声はかき消されてしまう。ましてや、これまで見てきたように障害を持った子どもの親はより一層その風潮がある。

 質的にも量的にも濃密なケアを必要とされる障害のある子どもとその家族へ社会の手を届かせるということは、すべての子どもたちの育ちを社会が見守る仕組みを作るということである。そのような環境があるからこそ、親たちはしんどい時は「しんどい!」と声を挙げることができ、昨今、頻繁にメディアに取りあげられるような子どもをめぐる悲しい事件もなくなるのだと思う。

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田中 智子

たなか ともこ

広島大学大学院社会科学研究科・佛教大学大学院社会福祉学研究科退学。2008年4月より佛教大学社会福祉学部・講師。2013年4月より准教授。

研究テーマは、障害者家族の生活問題・貧困問題。


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