不登校の小中学生約34万人超!(すべての各教室に不登校生徒が2,3人!?)「義務教育」の意味を問う【西岡正樹】
◾️「義務教育」=「学校で学ぶ」という構図の崩壊
私が担任していた時に、治(仮名)は学校に来られなくなりました。その理由が、当初「先生に叱られたから」というものでした。しかし、クラスでは治だけが強く叱られた訳ではありません。同じように、いやもっと強く叱られている子どももいましたが、その子たちは気にもかけていませんでした。
当初、治は理由を訊かれたから「先生に叱られたから」という理由を挙げましたが、その後学校に行かない理由が、「友だちに関わること」「所属している野球チーム内の問題」「母子関係」などいくつも付け加えられていきました。しかし最後の最後まで、保護者も治自身にも学校に行かれなくなった理由は、明確には分からなかったのです。
それでも、治は学校に行きたいという気持ちを持ち続けていたし、お母さんも治を学校に行かせたいという気持ちが強くありました。治と私、そしてお母さん、さらにカウンセラーの4者はしっかりと向き合い、カウンセラーの助言を受けながら私とお母さんは対応していきました。その結果、とても長い時間がかかりましたが、治は学校に登校できるようになりました。それは、4者の思惑が一致し、連絡を密に取りながら関係を深めていった結果であるのですが、それは他の不登校の子どもに当てはまるものではありません。それでも治の不登校は、治や治の家族の「個人的な問題」として片づけられる問題ではありません。
SNSが発達し個人の出来事があっという間に社会現象になってしまう現在では、「個人の問題」は「社会の問題」でもあるのだと、さらに思うようになりました。「不登校児童生徒約34万人」という社会現象は、過去を遡れば1人の児童生徒から始まり、それ以来ずっと「個人の問題」のように扱われていました。しかし、今になってみると、それは「義務教育を問い直す」程の大きな「社会の問題」だったということが分かります。
「個人の問題」であるかのように捉えられていた「不登校の問題」は、今では日本社会の抱えている「子どもの貧困(ひとり親家庭の貧困)」「教育格差」「少子高齢化」「情報リテラシー格差」などの日本社会の課題と密接につながっています。それはあくまでも一因にすぎませんが、「義務教育」=「学校で学ぶ」という構図が、現在の日本社会では成立しなくなってきていることは明確です。
このような現状から以前のような「義務教育」=「学校で学ぶ」という構図に戻すことは不可能だと思います。しかし、治のように学校に行きたくても行けない子どもがいることも事実です。それでも何度も言いますが、「学校に行くことが絶対ではなくなっている」のが日本社会です。