『広告批評』袋とじの衝撃【新保信長】新連載「体験的雑誌クロニクル」5冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」5冊目
しかも、この号にはさらなる衝撃が待っていた。「戦争の“顔”」と題されたページが袋とじ(正確にはシール留め)になっていて、扉ページに次のような断り書きがある。
〈気の弱い方は封を切らないで下さい。でも、できれば被写体になった人たちの“勇気”を直視してほしいと思います。〉
そう言われたら、見ないわけにはいかないだろう。が、シールを切ってページを開いた私は、思わず目を背けてしまった。そこには戦場で顔面をひどく損傷した人々の写真が、1ページに1枚ずつ掲載されていた。ある者は両目と鼻を失い、ある者はもぎ取られた下あごに上肢の肉を移植された状態。顔の中心部をもぎ取られ、横顔が「く」の字のようになってしまった者もいる。「グロテスク」という言葉を使うのは被写体の人々に失礼ではあるが、ほかの言葉がすぐには見つからない。
それらの写真は第一次世界大戦後のベルリンに開設されたワイマール共和国・反戦博物館展示物資料より転載されたもので、学習院大学教授(当時)の岩淵達治氏の解説によれば〈恐らく反戦の目的でとられたのではなく、治療記録としてとられたもの〉らしい。しかし、〈戦争はカッコいいものではなく、気持ち悪いものである。(中略)「気持ち悪い」と思うところにこそまだ反戦の訴えの届く余地が残されているのである〉と岩淵氏が言うとおり、これは確かに反戦広告として有効に違いない(袋とじされていたものをウェブに公開するのはどうかと思うので図版は載せない)。
同号には前年にセカンド(ラスト)アルバム『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!』をリリースしたスネークマンショーの桑原茂一のインタビューも掲載されていた。スネークマンショーは桑原茂一、小林克也、伊武雅刀によるコントユニット(?)で、YMOのアルバム『増殖』に参加したことで注目され、ファーストアルバム『スネークマン・ショー』(通称「急いで口で吸え」)で人気爆発。私もご多分に漏れずハマっていたので、このインタビューも「おっ!」という感じだった。
これは面白い雑誌を見つけた、と思った。それから毎号欠かさず買うようになり、バックナンバーも少しずつ買い集めた(当時はこうした雑誌のバックナンバーを常備している書店がそこかしこにあった)。創刊号(1979年5月号。ただし4月号が創刊準備ゼロ号として発行されている)のほか、いくつかの号は品切れだったが、在庫のある分はコンプリート。大学進学で東京に来てからも買い続けた。
印象深い特集はいくつもある。「戦争中の宣伝」(1980年8月号)、「続戦争中の宣伝」(1981年8月号)、「またまた、戦争中の宣伝」(1982年8月号)と、終戦記念日を前にした8月号では戦争宣伝特集を連発。詩人・茨木のり子の詩を軸にした「自分の感受性くらい自分で守れ」(1980年2月号)も挑発的だった。
「タモリとはなんぞや」(1981年6月号)では、まだ『笑っていいとも!』が始まる前のタモリを特集した。『滑稽新聞』などで知られる明治・大正期の風刺と反骨のジャーナリスト・宮武外骨を知ったのも、この雑誌の特集「わしが宮武外骨だ!」(1984年8月号)だった。巻頭は赤瀬川原平による宮武外骨インタビュー。もちろん赤瀬川の自作自演である。
「キリストはコピーライターだった?」(1982年10月号)も目からウロコの特集だった。ブルース・バートンという広告マンが1924年に出版した本をベースに、広告の天才としてのキリストに光を当てる。〈イエスは広告の本質がニュースにあると考えていた〉〈イエスはサービスの中身を説教ではなく行動で語った〉といった見出しだけでもそそられる。コピーライターがイエスの言葉に学ぶべき点として挙げられる〈圧縮せよ〉〈シンプルであれ〉〈誠実さを示せ〉〈繰り返せ〉は、それこそ現代の選挙運動にも適用できそうだ。