職人肌のプロレスラーから“おふざけ路線”へ転身!田口隆祐が語る「自由」への挑戦 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

職人肌のプロレスラーから“おふざけ路線”へ転身!田口隆祐が語る「自由」への挑戦

■首の怪我を抱えての壮絶デビュー戦

 田口は2003年11月にデビュー。もともと1ヶ月早くリングに上がる予定だったが、怪我をして延びた。

「ヨシタツと一緒にデビューするはずだったんですけど、首を鍛える練習のときに『グキッ』ってなったんです。そのときも『なんかヤバいかな』とは思ってましたね。次の日ちゃんこ番で、ちゃんこを作ってたんですけど、途中で気持ち悪くなってトイレで戻しちゃったんです」

 病院で診察を受けると、首の骨がずれていて、それが吐き気や頭痛を引き起こしてるということだった。治療を受けるも、痛みは治まらない。ひどい時には起き上がるのも困難なほどだった。

 10月のデビュー戦が延期になった後、もう一度試合が組まれたが、痛みがひどくてこれも取り止めとなる。

 二度デビュー戦が延期。

 いつまでも甘い顔をしていられないと、新日本プロレスは「デビューできないのなら辞めてもらう」と最終宣告を突きつけた。そこまで言われたら我慢してでもやるしかない。田口は覚悟を決めてデビューの日を待つ。

「その日の朝は、起きたら痛みはなかったんです。会社から『大丈夫か』と聞かれたときに『やります』と答えたんですけど、昼くらいから頭痛が出てきてキツくなってきました。『大丈夫』と言っておいて、今更『できません』とは言えませんよね。だから死ぬ覚悟でリングに上がりました。デビュー戦は頭が痛いことしか覚えていません」

 デビュー戦をなんとかやりきったが、引き続き頭痛には苦しめられた。治療の効果が出てきたのは、半年経ってから。

 徐々に身体も動くようになり、リングで高いポテンシャルを見せつけられるように。デビュー半年で憧れの「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」に初出場を果たす。

「すごく嬉しかったですね。自信にもなりました。調子に乗って『ドロップキックマスター』のTシャツを勝手に作ってました」

 

▲キックの美しさはデビュー当初から評価が高かった 写真:©新日本プロレス

 

次のページメキシコ修行でエンタメ精神が開眼

KEYWORDS:

オススメ記事

篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

この著者の記事一覧