職人肌のプロレスラーから“おふざけ路線”へ転身!田口隆祐が語る「自由」への挑戦 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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職人肌のプロレスラーから“おふざけ路線”へ転身!田口隆祐が語る「自由」への挑戦

■メキシコ修行でエンタメ精神が開眼

 2004年に第9回「ヤングライオン杯」(※6)で優勝した田口は、メキシコへの海外遠征に出発した。実はメキシコは「ルチャリブレ」というプロレスが盛んで、毎日のようにプロレスの試合が開かれているという土地柄。

 田口以前にも、多くのプロレスラーが海外遠征でこの地を踏んでいる。古くは初代タイガーマスクの佐山サトル(佐山はその後、イギリスへも遠征した)や小林邦昭。内藤哲也や高橋ヒロムといった、現在の新日本プロレスを支えている選手もメキシコ修行を経験している。

 田口は当地の老舗団体「CMLL」のリングに上がり、日本にはないスタイルに触れながら、成長していった。苦労した点はなかったのか。

「生活面でもリングでも、そんなに苦労した思い出ってないんですよ。ただ、水道水は飲むなって言われていたので注意してました。シャワー浴びるときも口から水が入らないように唇を噛むくらい閉じてましたね」

“メキシコ遠征あるある”で「タコスを食べてお腹をこわした」というエピソードが出てくるが、田口は生のタコが入ったタコスを食べても平気だったそう。そんな田口だったが、一度だけメキシコでお腹を下したことがある、と明かした。

「メキシコにアントニオ猪木さんが来たことがあったんです。ブラックキャットさんから『猪木さんが来るから挨拶へ行って来い』と言われて、アポ無しで猪木さんが滞在しているホテルへ向かったんです。ロビーでずっと待っていると猪木さんの姿が見えてご挨拶して、猪木さんの部屋で当時取り組んでいた永久電池の話を聞かせてもらったのを覚えています。実は、その前日に『猪木さんに挨拶へ行かなきゃ』というプレッシャーでお腹を壊していたんですよ」

 猪木の有形無形の存在感が、生タコスにも動じなかった田口のお腹を破壊した。メキシコではOKUMURA(※7)とタッグを組んで悪役(メキシコではルードと呼ばれる)としてリングに上がった。

 遠征期間は僅か8ヶ月と他のプロレスラーと比べて短かったが、メキシコで学んだことが一つあるという。

「メキシコのプロレスって3本勝負なんですよ。1本目が終わると少し休憩時間みたいなのができるんですけど、そのときに選手がお客さんをすごい煽るんです。客席が盛り上がる中で2本目にいくんです。メキシコは選手も会場全体のことを考えてリングに上がるのが当たり前なんです。それがすごく印象的でしたね」

 この学びをいかしたのが、田口が試合後に踊る「タグダンス」だ。現在もリングで軽やかなステップを踏んで踊っている姿を見られる。

※6 ヤングライオン杯:新日本プロレス所属の若手レスラー同士が戦うリーグ戦。優勝者は海外武者修行へ旅立つのが恒例となっている
※7 OKUMURA:メキシコで活動しているプロレスラー。現在もCMLL所属としてアメリカにも遠征している

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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