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運命の5分間はなかった!
慢心と怠慢が招いた敗北

ミッドウェー海戦 “運命の5分間”の真実 第5回

 ミッドウェー海戦の敗因はむろん兵装転換だけではない。さまざまな要因が複合的に絡まり、結果的に大戦史上に残る大敗北を喫した。まずは海戦に参加した日米の空母数を比較してみよう。

 第1航空艦隊(南雲機動部隊)は真珠湾奇襲で6隻、セイロン奇襲で5隻が参加したが、ミッドウェー攻略作戦では4隻に絞られた。これは5月の珊瑚(さんご)海(かい)海戦で同艦隊の翔(しょう)鶴(かく)が爆弾3発を浴びて損傷し、戦線を離脱したためである。この海戦に参加した同艦隊の瑞(ずい)鶴(かく)も整備が間に合わなかった。珊瑚海海戦は日米の機動部隊が初めて激突したもので、日本側は参加した3隻のうち翔(しょう)鳳(ほう)が撃沈された。翔鳳は開戦後、日本海軍が初めて失った空母となった。

 対する米軍はヨークタウンとレキシントンが参加。レキシントンは撃沈され、ヨークタウンも大きな痛手を負った。日本側はミッドウェーの戦力にはならないと決めつけていたが、実際には真珠湾のドックで驚異的な速さで修理を終えてミッドウェーへ駆けつけ、蒼龍に致命傷を与えた。現れるはずのない空母の出現。これは日本軍にとっての誤算となった。

 第2航空戦隊の山口多聞少将は連合艦隊司令部に対し空母が少ないと懸念を表明した。だが、真剣に議論されることはなかった。この攻略作戦全体を通して感じられるのは、日米の意気込みの違いである。日本軍は初陣の戦艦大和率いる主力部隊など艦船約350隻、航空機約1千機、将兵約10万人が参加する最大規模の陣容だった。このため「ミッドウェーなどひとひねり」と思い込む気のゆるみがあった。さながら桶(おけ)狭間(はざま)へ進む今川義元の行軍を連想させる。連戦連勝による慢心や怠慢が、起死回生を期して士気旺盛な米軍につけこむ隙を与えていた、と言っても過言ではないだろう。

 油断は暗号の扱いにもみてとれる。大本営海軍部では5月1日に乱数表の更新をする予定だったが、解読されるはずがないとの勝手な思い込みにより従来のものを使用した。実は米軍はオーストラリアのポートダーウィンで引き揚げた潜水艦伊124潜から暗号書類を見つけ、日本海軍の暗号をほとんど解読していた。さらに情報戦の重要性を認識し、日系二世も動員して通信傍受に努めていた。その結果、事前に艦隊規模や作戦日時までほぼつかんでいた。譬(たと)えは悪いが、日本軍は裸の王様状態になっていたことになる。

米軍艦爆機の奇襲を受ける日本海軍の空母「赤城」

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松田 十刻

まつだ じゅっこく

1955年、岩手県生まれ。立教大学文学部卒業。盛岡タイムス、岩手日日新聞記者、「地方公論」編集人を経て執筆活動に入る。著書に「紫電改よ、永遠なれ」(新人物文庫)、「山口多聞」(光人社)、「撃墜王坂井三郎」(PHP文庫)など。


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