甲子園での応援に感謝を込めて、野球部から吹奏楽部への熱いエール
花咲徳栄高校の物語【後編】
“泣ける”と話題の『吹部ノート2』より一部エピソードを紹介!
12分間の演奏はあっという間に終わった。
《吹奏楽のための風景詩「陽が昇るとき」》の最後の音が消えた後、大きな拍手とブラボーがホールに響いた。アリピもマツリもコケシも無我夢中で、ほとんど演奏の記憶がなかった。川口先生は、自分たちの持てるものは出し切ったと思った。いい演奏だった。
1年生メンバーで打楽器パートの根本真衣はノートにこう書いている。
もし、自分が一度でもミスをしたら、自分のせいで全国に行けなくなるかもしれないという責任を感じながら本番、舞台に立った。ノーミスだった。自分が今その時にできた最高級の演奏ができた。今までやってきた通しの中で、本番が一番納得のいく演奏ができた。手ごたえはあった。もしかしたら、全国に行けるかもしれないと心の隅で思っていた。しかし、全国はそんなには甘くなかった。
すべての出場校の演奏が終わり、表彰式が始まった。ステージの上には、代表者として元主将の下笠とアリピがいた。
「やるだけのことはやったんだから、どういう結果が出ても泣いたりしない」
アリピはそう胸に誓っていた。
まずは賞の発表だ。花咲徳栄はゴールド金賞だった。アリピは下笠と並んで賞状と記念品を受け取った。県大会銀賞から思えば金賞は嬉しかったが、それより代表になれるかどうかが気がかりだった。
埼玉栄や伊奈学園総合、春日部共栄という「西関東の御三家」も順当に金賞をとった。金賞団体は6校だった。その中から3校だけが全国大会の切符を手にできる。金賞団体のうち、花咲徳栄は出演順が一番早い。代表校発表で呼ばれるとしたら、最初しかない。
ついに運命のときが来た。Aメンだけでなく、サポートや応援で来ていたBDも一緒に祈った。
コケシは目をぎゅっと閉じて発表を待った。
「春日部共栄高等学校……」
その瞬間、花咲徳栄のコンクールは終わった。
根本真衣はノートに書いている。
春日部共栄の「か」の時点で、自分たちは代表になれなかったのだと悔しさがこみあげてきた。これまでにないくらいの悔しさで、その日二度目の涙が出た。このわずか数分の間に嬉し泣きと悔し泣きの両方を体験した。
その後、伊奈学園総合高校が呼ばれ、最後に埼玉栄高校が呼ばれた。目を閉じて発表を聞いたコケシは、このまま目を開けたくないと思った。目を開けてしまえば、現実を見ないといけなくなる。だが、いつまでもそうしているわけにはいかなかった。
ゆっくりまぶたを開くと、まわりで仲間たちが泣いていた。新主将のマツリが「よくやったよ」と周囲を慰めているのが見えた。マツリの目も真っ赤だった。ステージ上では表彰式が終わっておらず、まだ下笠とアリピが立っていた。
「先輩たちは今、ステージでどんなことを思っているのかな…」とコケシは思った。
一方、ステージ上のアリピも、「今、みんなはどういう気持ちなのかな」と思っていた。
発表の瞬間、舞台から突き落とされたような気分になり、そこから先は目の前が真っ暗になった。「また駄目だったんだ…」という思いがぐるぐる頭の中を駆け巡った。
表彰式が終わり、ステージから舞台袖に下がった。アリピは泣かないと誓っていたのに、涙が勝手に流れてきた。《焔》と《吹奏楽のための風景詩「陽が昇るとき」》を
10月まで演奏するつもりだったのに、明日からは練習する必要がないんだと思うと、心底寂しかった。
客席では、花咲徳栄の部員たちが絶望的な空気に押しつぶされたまま座っていた。
「帰ろう」
川口先生は優しく生徒たちに声をかけた。生徒たちの動きは緩慢だった。先生は立ち上がると、一人で先に客席を出ていった。先生なりの気遣いだった。
そのとき、合宿遠征係の部員がみんなに声をかけた。
「ホール清掃をしてください」
そうだ、清掃をするんだ──部員たちは思い出した。これまでも、コンクールや演奏会でホールを使った後には感謝の気持ちを込めて客席の清掃をしていた。いつのころから始まったのかわからないが、それが花咲徳栄高校吹奏楽部の伝統だった。
「ダメ金」の悔しさに打ちひしがれ、体は重かったが、部員たちは立ち上がってゴミを集めたり、シートを畳んだり、忘れ物を拾ったりし始めた。
新主将のマツリは後にノートにこう書いている。
自分は先生が待ってくれていると思って、追いかけました。先生に「清掃をしてもよろしいでしょうか」と言って、先生は「いいよ。行っておいで」と言ってくれました。
自分は人の流れを逆流してホールに戻りました。そこには、清掃を始めている部員がいました。2階にも1階にも行っていました。自分も清掃に参加しました。
自分達は全国大会に行けなかったけど、学ぶこともたくさんありました。あの時、悔しくて、全員が泣いていたら清掃どころではなかったけど、強くなった皆はこの夏を終えて成長したのだと、思います。
清掃をする花咲徳栄の姿を見つめている人がいた。群馬県吹奏楽連盟の事務局長で、高崎東高校の稲毛信哉先生だ。稲毛先生は後日、自身のフェイスブックでそのときの様子をこう記した。
表彰式が終わり、ある程度出演者と一般のお客様がホールから退席したのを見届けてから、自分も中の状況を確認しようとホール内に入りました。すると、補助員をしてくださっていた健大高崎高校の生徒さんたちの他に、一生懸命にゴミを拾ったり座席のいすを元に戻してくださっている出演団体がありました。蝶ネクタイをした出演者の生徒さんたちに「どちらの学校ですか?」と訪ねると、とても良い表情で「花咲徳栄高校です。」と答えてくださいました。
(中略)
その後、ホール場内担当の先生が「もう片付いたので大丈夫です。ありがとうございました。」とお礼を言い、その生徒さんたちは自分の荷物が置いてある座席に向かって歩き出します。そして次の瞬間、生徒さん同士が互いに肩を抱き合いながら
泣き出したのです。とても悔しそうな表情をしながら、そして仲間の肩を支えながら。
その姿を見た瞬間、自分も涙をこらえられませんでした。表彰式が終わって、きっとずっとそういう思いだったに違いない。でも、そんな素振りも見せずにみんなで一つになって、ホールの掃除、復元をしてくださった。そしてその仕事が終わった途端、自分の感情が抑えられなくなったのでしょう。顧問である川口先生のご指導が、単なる結果を求めるだけのものでなく、日々の様々なことを大切にしていらっしゃるのだろうと、生徒さんたちの行動を見ていて感じました。
大会に出れば結果は必ずつくもので、自分も何度となく悔しい思いもしましたが、その結果だけですぐに一喜一憂するのではなく、こうした周囲を気遣うことのできる心、そして仲間を想う心を大切にしたい。そう考えるとともに、自分も同じ指導者として川口先生のようにこうしたことを伝えられる指導者になりたい、そう学んだひとときでした。
掃除を終えた部員たちはベイシア文化ホールを出た。川口先生と合流し、暗がりの中で終礼を行った。そこに、下笠とアリピも合流した。アリピはずっと仲間たちの様子が気がかりだったが、終礼で目にするみんなの表情には悔しさ以上に充実感が窺うかがえてホッとした。
1年生のコケシも、清掃をして本当によかったと思っていた。清掃をしたことで、自分たちは冷静な気持ちを取り戻すことができた。清掃をしたからこそ、いい雰囲気で終礼ができた。悔しさと悲しみも一緒に清掃することができたのかもしれないと思った。
そして、終礼が終わると現地解散になり、花咲徳栄高校の吹奏楽部員たちは前橋からそれぞれの家へと帰っていったのだった。
大会が終わった後、稲毛先生のフェイスブックでの書き込みが話題を呼び、花咲徳栄高校吹奏楽部のもとにはたくさんの称賛の声が寄せられた。
コンクールが終わり、仮引退期間に入った3年生のアリピはクラブノートに書いた。
3年間当たり前のように続けてきた事が、特別に、そういって取り上げていただいたことにはびっくりしました。でも、私は本番、良い演奏ができたことよりも嬉しかったです。
人に感動を与える演奏もすごく大切だけど、またちがった形で感動してくださる方がいて、心があたたまりました。6年間、すばらしい経験をたくさんできました。
花咲徳栄吹部に入部して良かったです。
1年生ながら一生懸命演奏に貢献したコケシも、素直な気持ちをノートに綴った。
私の中学校も、コンクールなどの後清掃をするのは、当たり前でした。なので、花咲に来て、いざやるとなっても、あまり不思議でもありませんでした。しかし清掃をした事により、これだけの人が、感動してくださることに、自分はびっくりでした。そして、やはり花咲は愛されたバンド。そう思いました。
2年生でトランペットパートの大野七海は、最上級生になる来年に向けてノートにこんな決意を記した。
来年こそは絶対に川口先生を全国につれていきます。去年経験してしまった悔しさを今年も経験してしまったので、高校最後の来年のコンクールこそは、このような悔し涙ではなく、うれし涙が流せるよう、これから、良い伝統は継続させ、新しい時代を作っていくために新しいことをとりいれていきたいと思います。来年は絶対に全国大会に出て、川口先生を男にしてみせます。
川口先生はその文章を読んで微笑み、ページを閉じた。
西関東吹奏楽コンクールから3週間が経っていた。約1カ月後には、名古屋で全日本吹奏楽コンクールが行われる。花咲徳栄はそこに参加することができない。
しかし、川口先生は信じている。いつか生徒たちが笑顔の花を咲かせながら、センチュリーホールの清掃をする日が来ることを。
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