いばっても決して偉くなる訳ではない…「宅急便」創始者・小倉昌男が語る
【連載】「あの名言の裏側」 第6回 小倉昌男編(4/4)ワンマン経営の弊害
能力主義とは、能力の高い人のみを求め育てることではない。
人それぞれ、自分の能力に合った仕事を受け持ち、
自分の持っている能力を全部さらけだして、
思う存分仕事をやることだ。
──小倉昌男
1987年、小倉昌男氏はヤマト運輸の社長を離れ、同社の会長に就任します。66歳のときでした。ちなみに社長就任は1971年、50歳のときだったので、16年に渡る社長生活を過ごしたことになります。
そして1991年には相談役に退くのですが、1993年に会長に復帰するのです。そのあたりの概略を、小倉氏は自著のなかでこう綴っています。
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私は会長を退任して取締役相談役となった。経営から徐々に引いていくつもりだった。ところが、組合から聞き捨てならない情報が上がってきた。
営業所長など現場のトップが車両や荷物の事故を本社に報告せず、隠すケースが増えているという。調べてみると事実だった。管理職としての評価に傷がつくのを恐れたのだろう。
組織が大きくなると根っこが腐り始める。放っておくと会社の土台が揺らぐかもしれない。恐ろしくなり、一九九三年六月、二年限りと宣言して会長に復帰し、大掃除をすることにした。
最初に会長になった時、マスコミから「院政を敷くのではないか」と言われた。そんなことは一切ない、と否定していただけに会長復帰は恥ずかしかったが、どうしても倫理や規律を取り戻す必要があると思った。
(小倉昌男『経営はロマンだ!』より)
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2年後、小倉氏は宣言どおり会長職を退くのですが、「いざという時のため、役員会で発言できる権限を残す」かどうか、迷ったそうです。しかし、当時社長だった宮内宏二氏に対し、小倉氏が労いの言葉と合わせて「もっと自信を持って指揮をとったらどうか」と声をかけた際、宮内氏から「役員会で皆が誰の顔を見ているかご存じですか。皆が小倉さんの顔を見ていることに気づきませんか」と返され、「はっとした」と述懐しています。
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かねて役員会で発言しない取締役に不満を持っていたが、そうだったのか。私は全力で会社に貢献しているつもりだったが、実は自分の存在がマイナスになっていたのか。この場面がよみがえってきたので、進退は決まった。すっぱり辞めよう。
一九九五年六月、私はヤマト運輸のいっさいの役職から離れた。
(小倉昌男『経営はロマンだ!』より)
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