いばっても決して偉くなる訳ではない…「宅急便」創始者・小倉昌男が語る
【連載】「あの名言の裏側」 第6回 小倉昌男編(4/4)ワンマン経営の弊害
しかし一方で、小倉氏がなぜほとんどすべての私財を投げ打って財団を立ち上げ、晩節を捧げたのか……という点については、あまり語られてきませんでした。小倉氏は、自身がクリスチャンであったこと、1991年に亡くなっていた奥方がマザー・テレサに憧れていたことなどを理由として挙げたりしたものの、根底にある「思い」について、詳しくは語らなかったのです。
小倉氏は最晩年、幾度かの癌との戦いを経て、療養先としてアメリカ・ロサンゼルスに暮らす長女一家のもとで過ごします。そして2005年6月、同地で眠るように息を引き取りました。享年80でした。
そうした晩年の小倉氏については、2016年に刊行された『小倉昌男 祈りと経営 ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』(森健著)で、詳しく語られています。第22回小学館ノンフィクション大賞を受賞した同作において、衝撃的な事実が初めて明らかにされました。
ぜひ一読をおすすめしたい名著だけに、ここで多くは語りませんが、持病の狭心症に起因して亡くなったとされていた奥方が、実は長年アルコール依存症に陥っていて、最期は自殺だったこと。その背景には義父の康臣氏(小倉昌男氏の父。ヤマト運輸の創業者)や義母(康臣氏の3番目の妻)のいじめや、心を病んでいた長女(後に境界性パーソナリティ障害と診断され、よい薬に出合い、回復)との激しい衝突があったことなど、“行政や既得権益と戦う、孤高の経営者”としての小倉氏の裏に、夫として、父として計り知れない苦悩や葛藤があったことがわかってきたのです。
単に卓越した経営者としてだけでなく、人間的な深みと誠実で温かな人柄を兼ね備え、多くの人から愛された小倉昌男氏の言葉は、いまでも私たちに多くの示唆を与えてくれます。改めて、その歩みを振り返り、言葉に耳を傾けたい、尊敬すべき人物のひとりではないでしょうか。