ホロコーストを招いた史上最悪の偽書(フェイク)とは【中川右介】
メディアリテラシーを高めるための必須教養
■すべてはユダヤ人の陰謀だったとする解説
この「恐ろしいユダヤ人の企み」が暴露されたのは、一八九〇年代の終わりから一九〇〇年代のはじめにかけてのロシアだった。ロシア革命の前、帝政時代である。そのロシア帝国内務省警察部警備局が、極秘のシオニスト会議の議事録を入手した。それをロシア語に翻訳したものが流出したのだ。
この議定書を最初に公にしたのは、一九〇五年にロシアの神秘主義者セルゲイ・ニルスの著書『卑小なるもののうちの偉大』だとされている。一九二〇年代になって英訳されたものも出版され、世界中に知られるようになった。
ロシア革命後の内戦時、白系ロシアの兵士が持っていたパンフレットには、フランス革命もロシアの「血の日曜日事件」も第一次世界大戦も、みなユダヤ人の陰謀だと解説されている。さらには、ロシア皇帝の慈愛が国民に伝わらないのも不景気なのも、飢餓になるのも、革命運動が起きているのも、みんなユダヤ人のせいで、この『議定書』に従って、彼らは動いているとされた。
現在の日本でも、バブルになるのもバブルが崩壊するのも、すべてユダヤ人の陰謀だとか、フリーメーソンが世界を支配しているとの説があるが、その原点がこの『議定書』と言える。
実際、ロシア革命の指導者にはユダヤ系の人がけっこういた。
そもそもマルクスがユダヤ系ドイツ人として生まれた(後に、プロテスタントに改宗)こともあり、共産主義にはユダヤの思想だというイメージがつきまとっている。しかし革命運動家にユダヤ系が多いのは、ユダヤ人たちがヨーロッパ社会では迫害されていたので、この状況をどうにかしたいと思って、革命運動に身を投じた人が多かったからでもある。彼らは、『議定書』に従って行動したのではない。
『議定書』はさらに、「ユダヤ人結社とフリーメーソンとが同一である」とも解説し、世界で最も有名な秘密結社とユダヤ人とが、一緒くたにされた。
しかしフリーメーソンはユダヤ人とは関係がない。フリーメーソンは中世に教会を建造する石工職人たちが作った組合を起源としており、当然、キリスト教徒であり、むしろユダヤ教とは対立する人びとなのである。だが秘密結社ということで怪しいイメージがあり、それが悪用されたのだ。
『議定書』をロシア語から英語に訳した記者が急死すると、実際は伝染病での死だったのに、何者かに暗殺されたのではないかとの憶測を生み、これもユダヤ人の陰謀だという印象操作がなされた。
この『議定書』に飛びついたのがナチスのアドルフ・ヒトラーだった。
ユダヤ人は悪だと国民に信じさせようとしていたヒトラーにとって、この『議定書』は待ちに待っていた「証拠物件」となったのだ。
当初はナチにも共鳴していたアメリカの自動車王ヘンリー・フォードは、自分が所有している新聞「ディアボーン・インディペンデント」紙に『議定書』を掲載し、さらには『国際ユダヤ人』という本にして出版した。この本はベストセラーとなったが、後にフォードは訴えられ、発売を止めて回収することになる。