絶世の美女だった母は平清盛の愛妾に…<br />義経、常盤御前との涙の別れ<br /> |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

絶世の美女だった母は平清盛の愛妾に…
義経、常盤御前との涙の別れ

源義経、誕生から初陣に至る波乱の半生に迫る! 第2回

鞍馬山での修行、弁慶との決闘など、伝説に彩られた源氏の若きスターの、誕生から初陣までの前半生に迫る連載!

清盛に命を狙われた母は
3人の子と壮絶な逃避行

壇ノ浦・源義経像

 平治の乱に勝利した平清盛は「源義朝の常盤腹の3子を探しだして殺せ」と命じる。この危機に常盤は、今若7歳・乙若5歳の手をとり、牛若1歳を懐に抱き、まだ春浅い2月9日、闇夜に紛れるように屋敷を抜け出した。夫義朝は家人たる長田忠致に風呂場で謀殺され、今また平家の追っ手が母子に及ばんとしている。その恐怖と猜疑心がヒステリックに結びつき、彼女をして無謀ともいえる逃避行へと駆り立てた。

 彼女がまず向かったのは、幼い頃から信仰していた清水寺である。日頃は源氏の大将義朝の北の方ともてはやされ、輿に乗って参詣に来ていたのに、従者もない様子に驚いた師僧は、しばらく寺に身を隠すように勧める。しかし恐怖と猜疑心に凝り固まった常盤は、その申し出を拒み、大和宇陀へ逃れる道を選ぶ。この閉ざされた心が常盤だけでなく、子供たちをも悲惨な逃避行へと導いてゆくことになる。
 逃れる先は遙かに遠く、吹雪で路も定かでない。今若を先に進ませ乙若の手を引くが、2人は履物もなく氷の上を裸足で歩む。「さむや、つめたや、母御前」と子供らが泣くのも無理はない。自分の上着を子供らにかけ、風下に置くぐらいしかできない常盤の無力さ。平家の目を恐れ「命が惜しくば泣いてはならぬ」と、常盤は子供らを叱りつける。母子の体力・気力は、もはや限界に達しようとしていた。

 

 日頃よくしてきた叔母の家を訪ねても、かばえば罪を受けると突き放され、宿を求めて泣きながら日暮れの村をさまよう。そんな絶望の淵にあって、とある家の女房が救いの手をさしのべるのだ。入り口にたたずみ宿を乞う母子をみて「私のような身分の低いものならば、謀叛人を助けたとしも、まず罪には問われません。高貴であろうと卑しくとも人は人」と招き入れた。常盤母子の逃避行は、まさにこの一言にいたるための道程である。
 その晩、常盤は身の不幸をよもすがら語り泣く。恐怖と猜疑心でこり固まった常盤の心が、宿の女房の優しさにふれて溶け出し、まさに折れんとした心が、逞しく立ち上がる。宿を後にし、一旦は宇陀に逃れた母子であったが、老母が平家に囚われ拷問を受けていると聞くと、子供をつれ六波羅に出頭する。常盤は清盛に対峙し、もし子供らを殺すなら、私を先にと詰め寄る。清盛は常盤の美貌にうたれて思わず赦免してしまうのだが、その美しさが内面の強さに裏付けられていることはいうまでもない。逃避行を通じて常盤の心は、母として女性として逞しく成長していった。

 この後、兄弟の命は救われるものの、常盤は清盛の妾となり、また藤原長成に再嫁するなど、平坦ではない道程が待っている。それでもその運命に立ち向かう心を、決して失うことはなかったのではないか、そんな風に思える。それは鬼神のごとき武勇で平家を滅亡の淵へ追い詰める義経の活躍へと結実するのである。

 

第3回は、2月19日(木)に更新予定です。

KEYWORDS:

オススメ記事

菱沼 一憲

ひしぬま かずのり

1966年福島市生まれ。國学院大学文学部史学科兼任講師。著書に『源義経の合戦と戦略 その伝説と実像』(角川選書)、『中世地域社会と将軍権力』(汲古書院)などがある。


この著者の記事一覧