奇橋・猿橋がちらりと見えた中央本線の旧線を歩く【前編】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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奇橋・猿橋がちらりと見えた中央本線の旧線を歩く【前編】

ぶらり大人の廃線旅 第13回

信玄の袴と沢に佇立する橋脚と

 侵入者が外へ出ると目の前に盛り土があって、線路跡はそこで途切れている。その先にあったはずの第二富浜隧道はその盛り土の中に埋もれているのだろう。埋められた盛り土のあたりに新しい富浜公民館小向袴着(はかまぎ)分館が建っている。袴着は珍しい地名だが、『北都留郡誌』によれば、かつて武田信玄が円福寺(先ほど渡った御領沢を遡った場所)に参拝した際、当地で袴を着け直して寺に向かった故事にちなむという説があるそうだ。

 道を下って小向の方へ向かう。国道の手前の細い道をたどるが、国道の向こうを遠望すると、先ほど見た新桂川橋梁の上を「あずさ10号」が通過して行った。この道はひとつ西側の宮谷川を遡っていくが、ほどなく沢のまん中に石積みの橋脚が佇立しているのが見えた。まだ目地も綺麗に詰まって抜け落ちた石もなく、凛として林間に立っている。半世紀前に現役を引退したが、まだまだ列車を支えることができそうだ。その向こう側には3つ目のトンネルとなる宮谷隧道の入口がかろうじて見えたが、葉の繁った夏なら難しいかもしれない。

写真を拡大 袴着あたりから振り返れば、新桂川橋梁を特急「あずさ」が通り過ぎて行った。

 

写真を拡大 宮谷隧道手前の宮谷川に架かっていた橋梁の石積み橋脚が谷間に佇立している。

 右手を振り返れば道に面してこの橋梁の東側の橋台があり、さらに奥には第二富浜隧道の西口。先月は膝を傷めたため休載したのだから、ここで斜面を上ってトンネルを見に行くような無茶はしないことにしよう。国道の宮谷橋の方へ降りて行くと、木立の中に埋もれるようにして煉瓦の水路橋が架かっていた。これは大正3年(1914)に竣工した上野原の八ツ沢発電所へ通じる水路が宮谷川を渡るための「3号水路橋」で、水路橋にはかなりの速さと量で水が流れており、100年以上経った今も現役だ。これを上流へ遡れば東京電力駒橋発電所の直下だが、駒橋といえば日本の長距離高圧送電の先駆けとして知られる存在で、中央本線の列車は今もその鉄管の下をくぐっている。

写真を拡大 国道20号宮谷橋のすぐ北側に架かる第3号水路橋。水力発電所へ今日も水を送る。

  ついでながらこの一帯の大月市富浜町鳥沢、富浜町宮谷などの「富浜」はかつての北都留郡富浜村の名残である(昭和29年から大月市)。山の中なのに浜はちょっと不思議だが、実は明治8年(1875)に鳥沢・宮谷・袴着の3村が合併した際に頭文字のト・ミ・ハを並べて合成したのだという。真砂の浜ではなくて、袴のハ(カ)マである。明治の合併はそんな合成地名が意外に多い。

(後編につづく)
 

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今尾 恵介

いまお けいすけ

1959年横浜市生まれ。中学生の頃から国土地理院発行の地形図や時刻表を眺めるのが趣味だった。音楽出版社勤務を経て、1991年にフリーランサーとして独立。旅行ガイドブック等へのイラストマップ作成、地図・旅行関係の雑誌への連載をスタート。以後、地図・鉄道関係の単行本の執筆を精力的に手がける。 膨大な地図資料をもとに、地域の来し方や行く末を読み解き、環境、政治、地方都市のあり方までを考える。(一財)日本地図センター客員研究員、(一財)地図情報センター評議員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査、日野市町名地番整理審議会委員。主著に『日本鉄道旅行地図帳』『日本鉄道旅行歴史地図帳』(いずれも監修/新潮社)『新・鉄道廃線跡を歩く1~5』(編著/JTB)『地形図でたどる鉄道史(東日本編・西日本編)』(JTB)『地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み1~3』『地図で読む昭和の日本』『地図で読む戦争の時代』 『地図で読む世界と日本』(すべて白水社)『地図入門』(講談社選書メチエ)『日本の地名遺産』(講談社+α新書)『鉄道でゆく凸凹地形の旅』(朝日新書)『日本地図のたのしみ』『地図の遊び方』(すべてちくま文庫)『路面電車』(ちくま新書)『地図マニア 空想の旅』(集英社)など多数。


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