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大坂夏の陣の信繁は脇役だったか

季節と時節でつづる戦国おりおり 第277回

 

 京都市の古田織部美術館。以前は鷹ヶ峰の方にありましたが、北区上賀茂に移転しております。昨年9月から本年1月まで開催されていた企画展「古田織部の実像」の図録として「豊後『古田家譜』―古田織部の記録―〈改訂版〉」が昨年末に刊行されました。

 古田織部といえば「へうげもの」ですが、今回は彼の切腹の直接の原因となった大坂夏の陣(この戦いで大坂方に内通したと疑われ自害を命じられた)がらみの話題です。

 この図録の中に収められている(企画展でも展示されていました)同館蔵の「大坂夏の陣 布陣図」がなかなか面白い。

 茶臼山がかなり南にずれて描かれているのはご愛嬌として、船場に待機しているはずの明石全登が庚申堂に進んでいます。

 その左には大坂方諸将の名がずらりと書き込まれていますが、大野治長が一番西に入っているのは、この方面の後方司令官格的な位置づけとして、その隣りには毛利勝永。

 彼はこの戦いで幕府方を圧倒して本多忠朝を討ち取るなど、すさまじい働きを示し、後世「真田の功績が評価されるばかりで毛利は無視されている」と嘆く人もいたほどの武将でしたし、信繁と違って豊臣政権の城持ち大名だった過去を持つキャリアでもありました。その彼がこの位置にプロットされているというのはあるいは副将格という意味合いではないでしょうか。

 真田信繁はその順番でいうと五番手に過ぎません。この方面の主役は信繁、という先入観を捨ててかかる必要を痛感させられますね。

 以上、備忘的にブログで報告させていただきました。
 

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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