「南海電鉄の電車に飛び込んで死にます」ノムさんが直面した、プロ1年目の危機
野村克也さん3月毎日更新 Q8.シーズンオフにクビ宣告を受けたときはどんな決断をしたんですか?
「南海電鉄の電車に飛び込んで死にます」
もう、脅すしかないと思いましたね(笑)。プロ1年目のシーズンが終わり、契約更改の時期になったとき、南海ホークスの全選手の中で私が一番最初に呼ばれたんですよ。球団の部屋で課長と2人きりになってね、こんな会話のやりとりをしたんです。
「どうだ、プロ野球は?」「大変な世界ですね」「そうだろう。でも安心しろ。来年から楽ができるから」「どういうことですか?」「クビだよ。プロの目から見れば選手の素質はちゃんとわかる。間違いなくお前は無理だ。まだ19歳なんだし、いくらでもやり直しが利くから、野球は諦めて他の世界へ行け」
でも、どうしても納得できないわけですよ。1年目はほとんどブルペンキャッチャーを務めていただけで、実質プロ野球選手として何もしてないんですから。貧乏から脱出するためにプロ野球選手を目指して、中学時代からずっと野球をやってきましたし、野村克也から野球を引いたら何も残らない。じゃあ野球をやめて、いったいどうすればいいのか。たった1年で田舎に帰ったら、送り出してくれた家族や恩師、町の人たちに会わせる顔がない。プロ入りに猛反対の母を恩師・清水義一先生が「私が責任を持って就職の世話をしますから、3年間は目をつぶって送り出してやりましょう」と説得してくれたわけですからね。それに、1年のブランクがあったら、高卒で普通に就職するよりもハンデがあるので、はたして働き口があるのかどうか。
今振り返っても、私の長い人生でも大きな危機の1つと言ってもいいでしょうね。そこで覚悟を決めたんですよ。30分くらいやりとりしている中、「もはや後には引けない。自分を守る手段はこれしかない」と思った私はこう言ったんです。
「わかりました。もう生きていてもしょうがないので、帰りに南海電鉄の電車に飛び込んで死にます。お先に失礼します」
南海電鉄は南海ホークスの親会社だったんですが、それを聞いた課長がね、「おい、冗談でもそんなことを口にするんじゃない。ちょっと待ってろ」と出て行ったんです。その10分後、課長がドアを開けるなり言ったのが、「よーし、わかった。もう1年面倒を見てやる」でした。それによって、首の皮一枚がつながったわけですが、私がプロ3年目でレギュラーになったとき、そのことについて課長に聞いたんですよね。そうしたら、「わからないものだなあ。お前がこんな選手になるなんて。俺も見逃したよ」って。同情して残してくれたのは本当にありがたかったものの、「ざまあみやがれ」とも思ってね(笑)。
過去にその立場立場で決断を強いられることはありましたが、そんなときこそ覚悟が必要。世の中には胸を打たれる言葉が多いですが、誰が言ったのか、まさに「覚悟に勝る決断なし」ということですよ。