出雲vsタニハ 日本海の主導権争い
シリーズ「ヤマト建国は地形で解ける」⑨
日本海に繋がる陸路の要地、姫路
もちろん、通説はほとんど興味を示さないが、これだけの伝説が残っているとなると、笑殺できないものがある。そして、「地形」という視点をこれに組みこめば、「アメノヒボコと出雲の戦いは必然だった」ことに気付かされるはずだ。
まず、瀬戸内海側の播磨の重要拠点と言えば「姫路」を思い浮かべる。徳川幕府もこの土地を重視し、姫路城が西からやってくる敵に睨みをきかせていた。
なぜ姫路が重要だったのだろう。ここでは、陸路が大きな意味を持っていた。
出雲街道が北西に向かって伸び、逆の北東に向かうと、丹波市氷上(ひかみ)町に、日本でもっとも低い分水嶺が存在する。標高は約九五メートルで、日本海側に由良川が、瀬戸内海側には高谷川(加古川)が流れ下る。
弥生時代中期末から後期初頭にかけて、この道を利用して、瀬戸内海の土器が山陰と近畿北部、北陸に伝わっていたことが分かっている。
播磨の瀬戸内海沿岸部を起点に、北西と北東に進めば、日本海に出られる……。
日本海の主導権争いを展開していた出雲と「タニハ」が、播磨で激突す
るのは、当然のことだったのだ。「タニハ」は陸路の要衝をおさえるとともに、背後から襲われることを防いだのだろう。
『風土記』の神話、説話だからといって、無視することはできない。貴重な歴史解明のヒントを無駄にすることになる。
シリーズ「ヤマト建国は地形で解ける」⑩に続く。
【『地形で読み解く古代史』より構成】
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