源頼朝が上陸したのは猟島ではなく舘山?
地名で掘り下げる千葉県の歴史 地名でたどる源頼朝伝説②
全国6位の人口を抱える千葉県の奥深い歴史。「地名の由来」シリーズでおなじみ谷川彰英氏の最新刊、『千葉 地名の由来を歩く』から源頼朝伝説の地をたどる。
(2)洲崎神社 館山市
猟島に上陸したというのが定説になっているが、実は『義経記』ではもっと南の現在館山市に鎮座する洲崎神社の近くに上陸したことになっている。『義経記』ではこう記している。
26日(9月、引用者注)の未明、頼朝は、相模国真鶴﨑[真鶴岬]から舟にのって、三浦[三浦半島]めざして出発した。おりから風がはげしく、船を三浦の岬へよせることができなかったので、28の夕方、安房国(千葉県の南部)の洲ノ崎(館山)というところへ、船を乗り上げた。
この後、頼朝は洲ノ崎を立って、安東、安西を過ぎ、真野の館を出て、小湊へわたり、那古の観音を拝み、雀島の大明神の前に、型のごとくおかぐらを奉納して、竜島へ着いたとされる。
『吾妻鑑』の記述とは逆になるのだが、これは致し方ないところであろう。『吾妻鑑』では10月5日に「洲崎明神に参詣された」となっている。そして、同12日には神田を寄進している。
洲崎神社は安房神社の祭神天太玉命(あめのふとだまのみこと)の第一后神、天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)を祀っている。阿波国から移住してきた忌部氏に深い縁を持った神社である。房総半島の南端の野島岬から相模灘に突き出している岬にあり、まさに海路をたどれば西国からの玄関口に位置している。このあたりになると、千葉県北部とはまったく異なった植生と景観で異国・南国の感が強い。
写真の門をくぐると、百数十段の階段が一直線に伸びており、その上に社殿がある。一般には安房神社が安房国の一宮とされているが、この洲崎神社もまた安房国一宮を唱えている。