今から463年前、茶人・武野紹鴎による「歴史を変えた顔合わせ」
季節と時節でつづる戦国おりおり第279回
2月10日から12日までのアメリカ滞在ですっかりトランプ大統領を自家薬篭中のものとしてしまった感が、今のところ大な安倍首相。これがこの後も続くようなら、歴史は大きく変わり、安倍さんも教科書に載っているような有名どころ総理大臣以上の足跡をこの国に残す、やも。
今から463年前の天文23年1月28日(現在の暦で1554年3月1日)、茶人・武野紹鴎が堺の自邸に松永久秀と今井宗久を招き、茶会をひらく。このふたりが紹鴎を介して結びついたことは、後に重大な意味を持ってくる。
永禄8年(1565)三好党と対立し不利な状況に陥った久秀は信長に状況打開の期待を託していく。
一方の宗久も早くから信長を先物買いして畿内の情報を送り続ける。
そして永禄11年(1568)、信長の「天下布武」の第一歩となる上洛戦の露払い、下地を整えたふたりはともに芥川(現在の高槻市内)まで信長を迎えにおもむき、特に宗久は「松嶋の壷」(茶壷)・「紹鴎茄子」(茶入)を献上している。
実はこのふたつの大名物茶器はどちらも天文23年の茶会の翌年に亡くなった紹鴎が所有していたもの。
宗久は自分を久秀と結びつけ14年後のこの日に晴れて信長の本陣へと導いてくれた紹鴎に感謝し、その形見の品を信長に渡すことによって、紹鴎に新しい世を見せようとしたのかも知れない。なにしろ、『今井宗久茶湯日記抜書』によれば、この茶会で紹鴎はこの「松嶋の大壷」を床の間に飾っているのだから。
ちなみにこの茶会で食事として供されたのは焼き鮭、「小鳥たたきて、味噌焼き」とあるのは、小鳥の肉を刻んで固め、味噌をつけて焼く、つまりつくねの様な料理か。ほかにもいろいろあるが、菓子には白餡の餅とゴボウの煮しめが供されている。
話は戻ってトランプ大統領の別荘「アール・マ・ラーゴ」で出された夕食のメニューは非公表らしいが、囲んでいるテーブルが結構な勢いで狭いのを見ると、満漢全席やフレンチフルコースのような豪華版ではなく、結構質素な食事だったのではないだろうか。紹鴎の茶会と同様、料理の豪華さよりも会のメンバーや話の内容の方が重要なのだ。