社員がドキッとした……カップラーメンの生みの親「日清食品」安藤百福の呼びかけ
【連載】「あの名言の裏側」 第7回 安藤百福編(4/4)最大のコストは時間である
君は今、何をしているの?
──安藤百福
インスタントラーメンという新しい製品を世に送り出した安藤百福氏は、日清食品の急成長という成功を手中にする一方で、大きな悩みを抱えることになります。それは、類似商品(模倣品)メーカーとの間で発生した商標や特許に関わる紛争です。
日清食品のチキンラーメンが爆発的ヒットを記録するようになると、見た目がそっくりの粗悪な類似商品が数多く出回るようになりました。安藤氏は、悪質な類似品の製造業者を、意匠権の侵害を理由に不正競争防止法違反で訴え、大阪地裁はすぐに類似品業者に対してデザイン差し止めの仮処分を下します。
また、「チキンラーメン」の商標を使っているメーカー十三社を同じく不正競争防止法違反で訴えた際には、件の十三社が結束して「全国チキンラーメン協会」を組織し、「チキンライスと同様、チキンラーメンは普通名詞にすぎない」という理由で異議を申し立ててくる、という事態に。結局、1961年9月に「チキンラーメン」は日清食品の登録商標であることが確定し、全国チキンラーメン協会の異議申し立ても退けられました。
製法特許についても各社と係争が続きましたが、1962年、日清食品が特許庁に申請していた「即席ラーメンの製造法」と、他社が出願中だったものを日清食品が買い取った「味付け乾めんの製法」からなる、インスタントラーメンの基本的な製造法に関する2つの特許が確定します。
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私は特許を独占するつもりはなかった。要望があればいつでも使用許諾の契約を交わす準備があった。実際に、後に当社と契約して使用許諾を得た企業は六十一社に及んだ。
(中略)
いまでこそ、知的所有権は企業の大切な財産として守られるようになったが、当時は物まねをしてどこが悪い、という雰囲気もあった。仮処分を申請すると、権利を主張する方が悪いというような新聞の論調まで現れた。
(安藤百福『魔法のラーメン発明物語 私の履歴書』より)
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安藤氏は多くのメーカーと特許使用に関する契約を取り交わす一方で、異なる製法特許を主張するメーカーもまだまだ多く、当時は全国に即席ラーメンの協会が乱立しているような状況だったとか。「異議申し立てや仮処分の申請などを繰り返し、業界の混乱はいつ果てるともなく続いた」と、安藤氏も述懐しています。
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みかねた食糧庁長官から「すみやかに業界の協調体制を確立するように」との勧告があった。私は小異を捨てて大同につく気持ちで、業界のとりまとめに当たった。六四年六月、会員五十六社が参加して「社団法人日本ラーメン工業協会」(現日本即席食品工業協会)が設立された。私が理事長に選任され、特許係争とは無関係な公益法人として、消費者保護のために協調していくことを約束した。
(安藤百福『魔法のラーメン発明物語 私の履歴書』より)
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特許や商標といった知的財産に関する公正な取り扱いをキチンと担保したうえで、安藤氏はインスタントラーメンに関する製法特許を広く公開しました。日清食品が特許を独占して、他社の参入は認めない……という形にするのではなく、健全な競争原理のもとで各社はお互いの特許を尊重しあい、業界全体が成長できるような環境づくりを行ったわけです。
そうした安藤氏の姿勢は、以下の言葉にも表れています。
【連載:一流ビジネスマンが座右の銘とする言葉とはーー】
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