宗教学者と心理学者が直言。正義と悪をはっきり分ける「テレビ教」に注意せよ
島田裕巳×和田秀樹。現代にはびこる問題を解き明かす(前編)
日本の組織に見る、不思議な宗教性
和田 テレビ局のやり方のように、ものすごく宗教的というより教団的な要素が強い業界は多い。あるいは、ある種の価値体系の中に入ってしまうと、人間はその中の価値観から離れられなくなってしまう。
たとえば医者の世界には「医局講座制」というものがあり、とにかく教授になることが偉いという価値観をしっかり植えつけられ、医者の世界はお金よりも名誉のほうが大切だというシステムを結構じょうずにつくりました。
そう信じている人たちは、その教授のいうことならなんでも聞きペコペコするわけです。医者になる前は、医者になればわりと一匹狼で、上役にペコペコしなくても食えると思って入ってきたはずなのに、じつは大変な封建的制度に組み込まれていくわけです。そしてその中にあたりまえのように入ってしまって、今は臨床研修制度というのができてだいぶ変わってきましたが、僕らの頃は僕のように出ていった人間がむしろ変人扱いされました。
そういう意味では、もう「医局」という組織が完全に小教団のようになっている。大学病院そのものが教団化しているという気がします。これは逆にいえば、むしろ島田先生がおっしゃる宗教や教団的なものではなく、なんらかのかたちでの心の拠り所なのかもしれません。医局は信念体系なのかもしれない。
新宗教の教団のように白か黒かはっきり分けることなく、宗教というのはもっと悩むべきものなのだという考え方もあるのかもしれない。そこは僕もよくわかりませんが……。
島田 いや、その前段階として、基本的に日本人はものすごく組織に慣れすぎていると思います。ある種、宗教というものは組織だという考え方になってしまうし、日本の組織というものは、医局もそうなのでしょうが、次第に宗教化していくわけです。あらゆる場面で日本ほど組織が発達している社会はないと思います。
和田 あまりないですね。医局は昔ドイツの真似をしてつくったということらしいですが、こんな変な、宗教教団組織のようなものは外国にはないですね。たとえば、薬害エイズの被害者数はオウム真理教の被害者数の比ではないわけです。
しかし、薬害エイズの場合には首謀者とされた人は起訴されましたが、実行犯が一人も捕まらない。実行犯になっても捕まらないわけですから、医師たちは薬の副作用の研究もしない。勉強しようとしないわけです。日本の場合、副作用で人間が亡くなっても製薬会社が代わりに訴えられてくれる。ですから、医者は誰も副作用の研究をしていないんです。
ところが、外科手術で失敗すると自分が訴えられますから、「内科は得」、「外科は損」ということになり、外科の医者が減り続けるわけです。システムとしては三流教団と同じですよね。
島田 アメリカはそういうことにならない?
和田 ならないでしょうね。外科はハイリスクの代わりにペイがいいですし、内科でも副作用で人を殺せば訴えられます。アメリカの場合は、もっとおのおのの医者の独立性が強いですから。専門医が誇りをもっています。
日本の場合、医師国家試験一つをとってみても、臨床のできない大学教授が出題委員の九割です。ですから、重箱の隅を突つくようなゴミみたいな問題が出るわけです。その代わり、過去問をやっていれば、僕のように大学の授業に通算で四回しか出てなくても国家試験に受かるわけです。ある意味ひどいシステムだと思います。
島田 そのシステムで続いている医師の世界は、日本の組織の中でも珍しいかもしれないですね。
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