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大坂夏の陣で主戦場のひとつとなった、八尾・若江方面の関連史跡をまわる

季節と時節でつづる戦国おりおり第283回

大坂夏の陣・八尾若江の戦いを歩く①

 今回は大坂夏の陣で主戦場のひとつとなった、八尾・若江方面の関連史跡をまわってみましょう。
 まずはなんばから約20分、近鉄大阪線の久宝寺口駅をスタートです。駅から南下し、しばらく行きますと…

 小学校の隣りの綺麗なお堂「今口地蔵尊」、そしてその横には「長宗我部盛親物見の松」が。大坂城に籠城した土佐の元国主・長宗我部盛親が八尾の戦いに臨むにあたり、その部下この地にあった松の老木に登って徳川幕府軍の藤堂高虎勢の様子を観察したという伝承が残っています。

 お地蔵様のお名前にもなっている「今口」とは、背後(西側)の顕証寺御坊を中心とした「久宝寺寺内町」の周囲にめぐらされていた環濠の、東の口を意味していますから、平野から進んでいったん寺内町に軍勢を集結させた盛親は、前方へ斥候を走らせたわけですね。
 一帯は遮るものも無い平坦な地形ですから、樹上からはさぞ良く見渡せたことでしょう。その後、盛親はさらに東へ進み、長瀬川に出ます。

 現在でこそ長瀬川は10mほどの幅ですが、旧大和川の本流だった当時は200m近い大河川だったそうで、川舟が行き来し、その両岸には長大な堤防がありました(『河内名所図会』)。元禄末に大和川の付け替えで小さく緩やかな流れとなったために堤防も不要となり撤去されたといいますが、盛親は当時まだ健在だった堤防に布陣し、川を水堀として藤堂勢を大いに悩ませたのです。

※長瀬川の九(久)宝寺船着場(西岸側)・八尾浜(東岸側)跡を示す碑。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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