世界最高の短編の名手が描く、苦悩するインテリ女性の生きる道
『林檎の木の下で』+『ジュリエット』
2冊併読でわかる!「スゴ本」案内 第11回
短編をつなぎあわせて壮大な長編に
人々が国境を越えて祖国を去り、異国に移り住む理由とはなんだろう。2013年にノーベル文学賞を受賞したカナダの作家アリス・マンローは、自らのルーツを探る自伝的連作短編集『林檎の木の下で』(2006年刊)で、遠い父祖の移民の過去を描いている。
人々が妖精と会話し、幽霊を見たと信じていた時代を経て、1818年に作者の先祖はスコットランドの故郷を離れ、船で海を越えてカナダに移住した。作品「キャッスルロックからの眺め」では登場人物のアグネスが船上で出産し、老人ジェイムスは周囲に故郷の思い出を語り続ける。マンローは苦難の旅を見て来たかのように生き生きと描くのである。
まだ見ぬ新大陸について登場人物の一人は「あの国じゃあ誰もが自分の地所の真ん中にすわって、物乞いでさえ馬車を乗り回してるんだ」と述べて憧れと不安を語る。また、作者が自分のルーツと目しているのは、移民船で日記を書くウォルターと、『マグレガー一家』という題で開拓者の生活を描いた小説を書き上げた父親だが、二人とも商売人でもあった。
開拓者の血を引くマンロー作品の登場人物の屈折をよく表している言葉が、作品を通底するトーンとして文中に出てくる。「うちの家族には貧しい人間の習性があった」それは、自分たちより上の人間を戯画化しようとする習性であり、「地位にふさわしい以上の知性を負わされた貧しい人間に特有の習性なのかもしれないが」というもの。
翻訳作品の最新作『ジュリエット』(ただし原作は2004年刊)では、連作の「チャンス」「すぐに」「沈黙」の3つの作品で、マンロー作品らしい現代カナダ女性の人生を、連作短編という手法で切り取って見せている。マンローの特徴は、長編作品で詳細に描けばそうできるような題材を、わざわざ短編で書くことで、描かれなかった時間を読者の想像に任せてしまうことだ。こうすることで、作品はかえって無限の深みを増すことになる。
主人公ジュリエットは、若いころラテン語を研究するインテリだったが、旅の途中の列車で乗り合わせた漁師と駆け落ちする(「チャンス」)。やがて時が経って未婚の母になった彼女が幼い娘とともに実家に帰省して、両親と再会する日々を書いたのが2作目「すぐに」。最後の「沈黙」では漁師の夫を事故で失い、二十歳に成長した娘が家出をして宗教組織に参加して、消息を経ってしまい、苦悩するジュリエットの姿を描いている。
訳者あとがきによれば、この作品はヒラリー・クリントンの愛読書ということだ。インテリ女性の生きる道というマンローのテーマが鮮やかに映し出されているからかもしれない。