死への覚悟がアッパレ! 木村重成という漢
第二十回 SAMURAIファイル 木村重成
名古屋在住、日本大好きラジオDJクリス・グレンが語る、
日本が誇る錚々たる戦国武将たちの魅力。
外国人の目に我が国の英雄たちはどう映っているのか
日本が誇る錚々たる戦国武将たちの魅力。
外国人の目に我が国の英雄たちはどう映っているのか
サムライは常に「死」を覚悟して生きていた。
しかし、ここまで「死の準備」をして死んでいったサムライは、他にいるだろうか・・・。
木村重成。
豊臣秀頼(秀吉の三男)の幼なじみであり、秀頼の小姓だったサムライだ。重成の母は秀頼の乳母、父も豊臣家の家臣だった。
重成の初陣は、1614年の大坂冬の陣。徳川 VS 豊臣 の戦いだ。
重成は、人数では負けていたものの佐竹義宣軍を相手に立派に戦い、佐竹の家臣・渋江政光の首を取り、武功をあげる。このとき重成、20歳(23歳とも言われる)。普通なら、初陣だし、まだ若いから、これで気をよくして調子にのりそうなものだけど、重成は違った。
戦いの最中、家来の大井何右衛門がいないことに気づき、戦場を駆け巡って助け出すという優しさも持ち合わせていたし、主君・秀頼から脇差しをおくられたものの、その場で返すという謙虚さも持ち合わせていた。
このエピソードだけでも、重成のサムライとしての器を感じさせる。
そして1615年、大坂夏の陣。重成は「死」を予感していたのか、出陣の前の日に髪を丁寧に洗い、兜に香を焚きこめた。自分の屍(しかばね)が見苦しくないように、食事制限もした。
井伊軍と必死に戦った重成は自身の軍が危うくなっても前へ前と進み、最後まで攻めることを忘れなかった。
最後まで立派に戦った重成だったが、最後は討死。だが、その首を家康がたしかめた時に、あたりに香の匂いが漂ったそうだ。
強く、勇ましく、しかも謙虚で、なおかつ死に様までカッコいい…。「20代そこそこで、こんなことができるのか!」と驚かされる。
やはり、日本のサムライはスゴい。そんなことを思わせてくれるエピソードだ。
- 1
- 2