大阪夏の陣で木村重成が本陣とした、「破棄されて久しい城」の跡とは
季節と時節でつづる戦国おりおり第289回
大坂夏の陣・八尾若江の戦いを歩く⑦
木村重成像から府道24号線(大阪東大阪線)に戻り、すぐ西側。
旧若江城の石碑が道沿いに見られます。
若江城は三好氏の城でしたが、大坂の陣当時はすでに破棄されて久しい城跡でした。とはいうものの、遺構を整備すれば急ごしらえの陣地にすることができるため、重成はここを本陣としたのでしょう。
若江城跡の石碑から西を眺め、奥の若江小学校を含む一帯が城跡の範囲だといいます。
道の北向かいの公民館の一隅にも若江城跡の説明板が。以前発掘調査がおこなわれた際の写真も紹介されています。重成はここから東南東方向へ押して行ったのでしょう。
なお、公民館と若江城跡碑の横を南北に走る道は、重成にちなんで「若江木村通り」と呼ばれております。