京王線の知られざる旧線(仙川~調布)【後編】
ぶらり大人の廃線旅 第18回
仙川~調布間には90年前廃止の旧線
京王線のもうひとつの廃線、昭和2年(1927)12月17日に廃止された仙川~調布間の旧線跡もたどってみよう。現在の京王線は切り通し構造の仙川駅を出るとしばらくして築堤上を走ってつつじヶ丘駅方面へまっすぐ向かうが、旧線は仙川から甲州街道の路上へ降りて金子停留場の前後で幡代以来の「路面電車」をやり、その後は街道の西側を専用軌道が布田駅近くまで一直線で結んでいた。痕跡は市街化でわかりにくくなっているが、大規模な区画整理事業は行われていないので、以前の線路用地そのままの方を向いた建物が連なっているなど、家の並び方が忠実に描かれた1万分の1以上の詳しい地図があれば、そのルートをたどることができる。
桐朋学園の最寄り駅なので楽器を持った学生の目立つ仙川駅。台地を切り開いて半地下駅のような構造になっているのだが、その先は段丘崖が控えているため、つつじヶ丘駅までの間には10数メートルの標高差がある。並行する甲州街道には滝坂があり、今の自動車道路では勾配が緩和されているものの、かつては荷車などが難儀する坂道であったという。そもそもこの路線変更は、大正2年(1913)に開通した当初の線路が40パーミルという急勾配であったのを現在の15パーミルに緩和し、併せて金子付近の併用軌道を専用軌道に改良するために行われたものだ。同時に金子、柴崎、国領、布田の各停留場は現在地に移転している。
数年前までキユーピーの東京工場があった同社の「キユーポート」の脇から下る急坂が線路跡のルートだが、ざっと100パーミルほどもある勾配は電車のものではなく、おそらく都道に接続するため土盛りしたのだろう。そこを下りつつ、どこからが線路敷の跡地なのか想像するが、90年の歳月は名残をほとんど消し去ってしまったようで、東側の築堤を上り下りする現在の電車との標高差を感じるのみだ。