「投票したい人がいないから選挙には行かない」は貧しい発想。出口治明氏が選挙の本質を語る
出口治明さん5月毎日更新 Q.18 選挙に対する考え方についてお聞かせ下さい。
いい候補者がいないからといって、白票・棄権はダメ
政府は我々市民の手で作るものであり、その政府をより良いものに作り替えるための手段が選挙です。
しかし、残念ながら日本の学校では、選挙の仕組みや規則、衆議院・参議院の定数など、試験のための知識は教える反面、選挙のときに具体的にどう対応すべきかという根本的な部分に触れることはほとんどありません。
そのため選挙に関するリテラシーが低い人も多く、日本は、先進国の中で投票率が最も低い国の一つという不名誉なデータがあるように、投票行動につながっていないんですよね。
それに対して、かつて私がロンドンに駐在していたときに驚いたのは、ヨーロッパでは、中学校の段階で、すでにそうしたリテラシーを身につけているということです。
たとえば、選挙への基本的な対応法については、次の通りに教えられています。
選挙期間中にはメディアが事前予想を出しますが、最も有力な候補者をAさんとします。もしあなたがAさんを支持するとしたら、選択肢は3つあります。
それは
① 選挙に行き、Aさんの名前を書く
② 選挙に行き、白票を出す
③ 棄権する
であり、どれを選んでも同じ結果になります。
逆に、Aさんを支持しないのならば、選択肢はたった1つ。選挙に行き、違う候補者の名前を書くだけです。
簡単すぎると思われるかもしれませんが、他に意思表示の方法はありません。これが選挙の本質なんです。
そう考えると、Aさんを支持しない人に対して、「いい候補者がいなかったら白票を出せ」「堂々と棄権することも立派な意思表示だ」などと言い放つ評論家の言葉がいかに間違っているのかわかりますよね。
結果的に、Aさんに投票していることに変わりがないんですから。
ただ、20世紀を代表する偉大な政治家チャーチルが100年以上も前に言っていますが、そもそも、真っ当な人間は政治家になろうとはしません。本人も認めているように、選挙に出る人は、目立ちたい、お金を儲けたい、異性にモテたいといった感情を優先する人間ばかり(笑)。
そのうえで、チャーチルいわく、
「選挙とは、そのろくでなしの中から、税金を上手に分配できそうな人間を消去法で選び続ける忍耐そのものである」
そして、こう続けます。
「だから、民主主義は最低な制度である。皇帝制や王制など、これまでのあらゆる政治形態を除いては」
つまり、政治家も民主主義も絶対的のものではないんですよ。その中で市民がすべきことは、忍耐を強いられながらも、よりマシな政治家を選ぶことであって、いい候補者がいないからと言って白票を出したり棄権することではありません。
今の政府を信用しているならまだしも、もし信用できないと思っているのに選挙に行かないとしたら、それは、棄権という形で支持したも同然なんです。税金がどう分配されようと、年金を払ってもらえなくても、文句を言う権利はありません。
だからこそ、選挙に行き、意思表示をすることは、より良い政府を作るために、何よりも大切なんですよね。