吉田松陰もその才を認めた「時代を読むカリスマ」・井伊直弼
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第16回 ~井伊直弼~
○自星「偏印(へんいん)」
知的好奇心が強く、発想力は抜群。個性的で飽きっぽい星。また、外国好きで自由奔放なところもある。
直弼は幼いころから学問好きで、読み書き、儒教、剣道、弓道、乗馬等を彦根藩の学者から学んでいた。また、和歌や茶の湯、居合(剣術の一種)等の修行も積んだという。好奇心旺盛な直弼のことである。さぞかし、楽しかったのだろう?この星が直弼のカリスマ的な発想力に繋がった可能性もある。
○正官(せいかん)
プライドが高いため名誉欲が強い。真面目な性格なため、責任感が強く几帳面で、世間体を気にする部分を持つ。
○正財(せいざい)
誠実でまじめ人間。慎重派で動乱に弱い。人に気遣いができ、いい人脈を手に入れることができる星。
➤正官と正財が相まって、相当真面目で誠実な性格だったのだろう。また、真面目すぎるがゆえに世間体を気にしすぎるため、世間の風当たりは相当応えたと推測される。「咲かけし 猛き心の ひと房は 散りての後ぞ 夜に匂いける」これは、直弼が桜田門外の変で暗殺される前日に詠んだもので、結果的に辞世の句として伝わっている。意訳すると、「国を想ってきた熱い自分の気持ちは、自分の死後、きっと後世に理解されるだろう」となる。世間体を気にしつつも、自分の意志を貫こうとする強がりが見てとれる。逆に言うと、これほど真面目な直弼が行ったことなのだから、日米修好通商条約も安政の大獄も、どうしても為さねばならぬ政策だったともとれる。
○養
素直な性格で人から好かれる星。目上の人の引き立てを受けてチャンスを広げる。
順風満帆に出世を重ねたかと思えば、直弼は近江彦根藩第14代藩主・直中の14男。普通に考えると、殿様になれる機会などそう巡っては来まい。兄が次々と養子に送られる中、直弼には養子の口もなく、父・直中の死後は、三の丸尾末町の屋敷に映り、17歳から32歳までの15年間を300俵の部屋住みとして過ごした。第14代藩主で兄の直亮(なおあき)の世子であった兄・井伊直元(なおもと)が死去したため、兄の養子という形で彦根藩の後継者になり、その後嘉永3(1850)年、直亮の死去を受けて家督を継いだ。
その後、大老になるにあたり、将軍・家定の引き立てを受けた。堀田正睦は家定に松平春嶽を大老に就けることを望んだが、家定は「家柄からも人物からも大老は井伊直弼しかいない」と述べたことから、大老の職に就くに至った。家定から見たら、素直でかわいい家来だったのだろうか。まさに、目上の人から引き立てを受けての出世である。