サッカーのレベルの違いはどこで生まれるのか。「鹿島」と「鹿島以降」に学んだもの
鹿島と違った経験を。そこで感じた違い
鹿島で語り継がれるある日の練習
1つは、日々の練習におけるテンションの違いでした。これはある程度、予想していたことでした。
僕にとってプロの練習とは「戦いの場」です。試合に出るためには、練習で自分の価値を示し続けなければいけません。それは監督に対してだけでなく、チームメイトに対しても、です。
プロの世界は試合に出てナンボです。みんな出たくてしかたありません。しかし、11人しか試合には出られない。出られない選手が約20人もいるのです。
だから、自分が試合に出ることをチームメイトたちが納得しなくてはいけません。それを示すのは練習です。試合で戦う前に、まず練習で戦わなくてはいけない。それが当たり前でした。
鹿島時代のエピソードが1つあります。
いつだったか思い出せませんが、ある時、紅白戦で僕と小笠原選手がサブ組に回された時がありました。僕は悔しくて、正直言ってイラっとしました。小笠原選手も同様だったと思います。
その紅白戦はまさに戦場と化しました。ディフェンスラインでは僕が、中盤では小笠原選手が猛然とレギュラー組の選手に襲いかかりました。公式戦さながらのバトルでした。小笠原選手と僕に触発されて、若手選手たちも激しさを増していきました。鬼気迫る練習でした。
今では鹿島の中心選手となった、当時の若手選手たちはよくこの日の練習のことを口にします。こうして、鹿島ではそれが当たり前として受け継がれていくのです。
鹿島を離れ、その温度にはやはりなかなか出会えなくなりました。特にタイでは、文化の違いも相まって、その温度差は大きかったと思います。
タイでも岡山でも、そして今の東京ユナイテッドでも、程度の違いこそあれ、そこに大きな違いを感じた僕は、その度に「チームメイトたちを変えよう」と思うことはやめてきました。
諦めたのではありません。変わるとすれば、僕が変えるのではなく、彼らが変わるのだと思ったのです。僕はただ、自分の基準をぶらさずに戦い続けていればいいのだと思っています。
とは言いながら、プレーにおいて言い続けた1つの指摘があります。それが大きく違いを感じたもう1つのことです。
それは「頭を止めない。頭を回し続ける」ということです。こちらは、予想していたものより大きな違いでした。