なぜ大学受験をピラミッドの頂点とした教育ができ上がったのか?
なぜ今教育改革なのか? 日本教育史が出す答え①
第二次大戦からバブル崩壊まで
「経済成長ありきで出来上がった教育制度」
第二次大戦後は、マッカーサーによる五大改革の指令の一つとして、教育を通じて民主主義が日本に根付くよう、教育制度の自由主義的改革が要求されました。教育から国家主義的な色彩は追放されていき、個人の自由や権利の追求を重視する方針が、教育の中に盛り込まれたのです。
それでは、戦後の教育がどうなっていったのか、この点に関して述べます。戦後まもなくの日本は本当に貧しく、焼け跡からどのように復興していくのかが、喫緊の課題であったことは間違いありません。生きていくことに精一杯の時代だったのです。
そして復興が進む中、ベビーブームが到来し、子供がとても多く競争が激しい時代になっていきます。
そんな時代に求められたのは、「自分の意見や考えを主張する」ことではないでしょう。競争社会においては、「指示されたことを実行する」ことで、「よりよいポジジョン」を獲得することが、先決だったと思います。
「クラスの中でよりよい成績」「よりよい高校への入学」「よりよい大学への入学」「よりよい就職」という具合に、常に人よりも相対的に上にいることで、何らかのメリットがある、という風潮が当時はありました。個人の自由や権利の追求は、あくまで他人との競争の中で認められるものだったのです。
戦後のそのような風潮は、バブル崩壊まで続きました。
景気変動はあったものの、経済は右肩上がりで、「頑張れば、今日より明日の方が、よりよい日本になる」といった空気もありました。1960年代の高度成長期に生まれ育った私も、この感覚は強く持っていました。
また、戦後日本をリードしてきたのは、「日本株式会社」とも称される民間企業群であり、それを支えた官僚であったことは間違いないでしょう。両者は、二人三脚で動いてきました。
成長をあてにした戦略をトップが立て、それを実現する役割を担ったサラリーマンや役人は、「指示されたことを実行する」ことで、その組織を円滑に動かしていたのです。
そのような社会情勢において、重視されたのは、やはり「学歴」でした。受験の際、膨大な知識を、粘り強く努力し要領よく頭に詰め込み、結果を出してきた人間は、まさに「指示されたことを実行する」人間として評価しやすかったのでしょう。
大学で学んできたことより、受験勉強の結果である大学名が、重視されていたのです。
その流れは、バブル終焉まで続きました。私が教員になったのは、バブル前夜の1985年です。当時はまだ経済的には右肩上がりの神話が存在し、受験の競争も大変厳しい時代でした。教師になったばかりの私は、生徒たちに、「大学受験があるから、今は大変でも我慢して勉強を頑張るしかない」といった言葉をよく使っていたことを思い出します。そして、その言葉がかなり効果的であり、生徒たちには逆らいにくいものがあったのも、事実です。
思い起こすと、戦後からバブル終焉までに出来上がった、高校受験・大学受験の厳しい状況が、受験を頂点とした教育の流れを作ってきたことが実感されます。
そして、多くの受験生が推薦入試などではない、いわゆる一般入試中心に受けていた時代には、採点の手間のこともあり、論述の問題よりも断片的な知識を問うような問題が、最も適していました。
そして、教育現場は、そのような入試の対策を迫られる――といった流れが、出来上がっていったのです。
自分自身も、当時高校生の担任をする機会が多かったのですが、生徒が大学に進学して何を学ぶのかより、どの大学に進学するのかを常に念頭において受験対策をしていたことを思い出します。この時期は、私だけでなく多くの教師が、大学受験をピラミッドの頂点とした教育をしていたことでしょう。
〈『2020年からの教師問題』より構成〉
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