戦国太田一族ゆかりの城下町岩槻と武州松山城を訪ねて……雨中の城攻め
外川淳の「城の搦め手」第18回
前々回ご紹介した、歴史ファンとともに古城や古戦場をめぐるサークル「歴史探偵倶楽部」。その一環として先日「戦国太田一族ゆかりの城下町岩槻と武州松山城を訪ねて」を開催した。行程では、ずっと雨だったというマイナス点を除けば、歴史探偵倶楽部らしい城巡りができたと自負している。
土塁上や、空堀の底を進むのが歴史探偵倶楽部の醍醐味? 雨にも負けず、城を攻め続ける。別の見方をすると、この梅雨の真っ最中など、雨のなかでも山城に上るのもよくあることであり、城を攻めたいという情熱(?)により、多少の雨をも苦にしないというのも、歴史探偵倶楽部らしさともいえる。
岩槻城では、同じ埼玉在住で何度も探査したIさんの先導により二の丸に残された土塁を探査。倶楽部の参加者のなかには、特定の城については講師よりも繰り返して探査した経験から、城の見所を知っている方も存在する。講師としては、ちょっと恥ずかしいことなのかもしれないが、いろいろなタイプの歴史ファンがそろっていることも、倶楽部の特徴であり、良さだと考えている。
最終目的地の武州松山城では、降りやまない雨のなかで戦国の城の最終形態ともいえる堅城を約30名の「同志」とともに攻めた。これだけ人数が多いと、「攻城軍」の最前列を進む講師が坂道を上りきったところで、振り返ったところ、殿(しんがり)はいまだ空堀の底というシチュエーションがよくあった。
本丸を目指す参加者の隊列を見ていると、城という防御構造物は、侵入者の行動を阻害しながら、一列にしようとするために工夫されていることがよくわかった(なお、通常の参加者は20名ほどであり、記録的な大人数だった)。
同好の方々とともに城を訪ねることにより、その残された姿に心動かされながら、動乱の時代の真実に迫る。
私は、これからも同志たちとともに、城を攻め続けたいと思う。