【30万に1人の難病・魚鱗癬】「さぁ、みんなで一緒に我が家へ帰ろう!」生まれて3カ月、ついに我が子の退院
難病を持つ我が子を愛する苦悩と歓び(29)
難病「道化師様魚鱗癬」を患う我が子と若き母の悲しみと苦しみ。「ピエロ」と呼ばれる息子の過酷な病気の事実を出産したばかりの母は、どのように向き合ったのか。『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』の著作を綴った「ピエロの母」が医師から病名を宣告された日、母は我が子の「運命」を感謝しながら「これからの親子の人生を豊かなものにしよう」と新たなる決意をした。
今回は、我が子生まれて3カ月。多くの医師、看護師のお世話を受け、ようやく我が家へ! 父、母そして息子ついに一緒の生活がはじまります。
■母子同室 2回目 ~ 退院
1回目の母子同室から、10日後。
2回目の母子同室が始まった。
今回は母子同室後に、陽(我が子)と一緒に家に帰れる。
そう、待ちに待った退院が、もう直前まで近付いていた。
何も問題なく、24時間過ごせますように・・・。
そんな想いで病院へ向かった。
GCU(Growing Care Unit:回復治療室)から、小児病棟へ移動する際、陽と私は、お世話になっていた看護師さんたちに囲まれ、
「陽ちゃん、良かったね!」
「陽ちゃん、元気でね!」
「寂しくなるなぁ・・・」
「また遊びに、顔出しに来てなぁ!」
と次々に声をかけて頂き、陽のことだけでなく、親である私の心のケアまでしてもらえたことで、「陽を守る」という気持ちで、ここに立っている私がいる。
と改めて思い、看護師さんたちへの感謝の気持ちが大きすぎて、私は言葉を詰まらせながら、
「ありがとうございました」
「お世話になりました」
とだけ言った。
本当はもっともっと、伝えたいことがあったのだが、これ以上、何か言葉を出すと、涙まで出てしまいそうで、涙と一緒に感謝の言葉もグッと飲み込むことにした。
泣かないことで「私、強くなりました。もう泣きません。この子を守っていきます」という強い母親の姿を、最後くらいは見せたかったのかもしれない。
その後、初めて1人で行う沐浴(もくよく)も、薬の調合も、薬を飲ませるのも、ドキドキしながらも、なんとか無事に終え、前回と同様、大体2時間半の間隔でミルクを飲み、オムツを替え、全身にワセリンを塗り、少し起きて、また眠る。
この繰返しで、いつの間にかまた朝を迎えた。
そして、いよいよ
退院。
夫と私の母も来てくれて、スムーズに退院の手続きを終え、担当の先生が見送りに来て下さり、
「昨日から陽ちゃんスペースがなくなったから寂しいわぁ~」と仰って頂いたその言葉に、
あぁ、確かにGCUの部屋の中で、陽が一番場所をとっていたなぁ~。
と思い返していると、また涙が出そうになった。
「大変、お世話になりました。ありがとうございました。これからも、通院などでお世話になりますが、よろしくお願いします」
と夫とともに先生方に伝え、病院を後にした。
「陽! 初めての外の空気は美味しいか??」
夫が満面の笑みで、陽に話しかけている。
その様子を見て、私も笑顔になる。
陽が産まれてから、約3カ月。ついにこの日が来た。
さぁ、みんなで一緒に我が家へ帰ろう。
これからは、ずっとずっと一緒だね。
【参考資料】
本書をもとにCBCテレビ『チャント』にて「ピエロと呼ばれた息子」 追跡X~道化師様魚鱗癬との闘い(6月26日17時25分より)が放送されました。
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【参考文献】
『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』(アメーバブログ)
産まれてすぐピエロと呼ばれた息子(書籍)
ピエロの母
本書で届けるのは「道化師様魚鱗癬(どうけしようぎょりんせん)」という、
50~100万人に1人の難病に立ち向かう、
親と子のありえないような本当の話です。
「少しでも多くの方に、この難病を知っていただきたい」
このような気持ちから母親は、
息子の陽(よう)君が生後6カ月の頃から慣れないブログを始め、
彼が2歳になった今、ブログの内容を一冊にまとめました。
陽君を実際に担当した主治医の証言や、
皮膚科の専門医による「魚鱗癬」についての解説も収録されています。
また出版にあたって、推薦文を乙武洋匡氏など、
障害を持つ方の著名人に執筆してもらいました。
障害の子供を持つ多くのご両親を励ます愛情の詰まった1冊です。
涙を誘う文体が感動を誘います。
ぜひ読んでください。