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かつては花嫁行列が通った、東大赤門の歴史

季節と時節でつづる戦国おりおり第293回

赤門今昔

 先日上京した折り、1日東大史料編纂所の閲覧室に籠って参りました。前から見たかった史料も沢山目を通し、いろいろと新しい発見(あくまでも私にとって、ですが)もあり。いや~、史料って本当にいいものですね。
 辞するときには、ミーハーにも門内の一角にある土産物コーナーに寄って、こんなものを買って来ましたよ。

 

 シナシナのペロンペロンで恐縮ですが、クリアファイルです。画題は「松の栄(さかえ)」、副題に「旧幕府(、、、)の姫君、加州家御輿入之図」とあるように、明治に入ってからの絵です。発行は明治22年、描いた浮世絵師は香朝楼国貞。つまり、三代目歌川国貞です。東京の近代化の風景を描くことの多かった彼としては少ない部類のジャンルなのでしょうか。ちゃんと“版権所有者”の名前も刷り込みあり。
 同じ角度から撮影すると、こんな感じですね。

 

 皆様よくご存じの通り、東大の赤門はかつて加賀藩前田家の江戸上屋敷御守殿の門でした。御守殿というのは、武家官位で三位(公卿成り)以上の大名に嫁ぐ将軍家の姫君の住まい、そこから転じてその娘そのものを指し、その御殿の門は朱塗りにされたところから「赤門」と呼ばれます。
 この「御輿入れの図」は国貞の想像というわけですが、まさに将軍家の姫君=花嫁の行列は前田家が用意した御守殿に、赤門をくぐって入っていくわけです。この赤門は大名にとって非常な名誉で、火事など起こるとこの門に延焼するのを防ぐため大変苦労したと言います。傷みや、朱色の剥げや褪色も非常な恥ですから、維持費も膨大だったことでしょう。

 

 調べてみますと、前田家に嫁いだ将軍家の姫というのは、2代目藩主・利常の正室・珠姫(徳川秀忠の娘)、3代目藩主・光高の正室・大姫(徳川家光の養女)、5代吉徳の正室・松姫(徳川綱吉の養女)、13代斉泰の正室・溶姫(徳川家斉の娘)と4人いるようですが、赤門が造られたのは最後の溶姫の輿入れのときで、国貞が描いている門内で満開の花木は梅か桜と思われますが、史実では溶姫は11月27日、現在の暦で1月13日ですから、おそらく梅なのでしょう。前田家の紋は梅鉢ですから、国貞はそれにかけて梅を描いたのかと思ったのですが、意外としっかり考証しているのかも知れません。
 以上、かろうじて戦国時代に引っかかる徳川秀忠の名前が入っているので、ギリギリOKのネタということで!

 かつてきらびやかな花嫁行列がその下をくぐった赤門。今は天下の秀才たちが日々くぐっております。

 

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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