『古事記』と『日本書紀』、天地開闢神話の違いとは何か?
天地開闢神話と国生み神話①
神話の幕開けを告げる神話
天地の状態が記・紀で異なる
日本神話の始まりは、天地開闢(てんちかいびゃく)神話である。この神話は、天と地とがどのようにしてできあがったかをのべる神話で、キリスト教世界のバイブルである『聖書』でいうならば、天地創造神話にあたる。日本の歴史書として最古の『古事記』『日本書紀』でもやはり、天と地の形成から神話が語られているが、興味深いのはその内容に違いが見られることである。
『古事記』は7世紀の後半に天武天皇の命令で稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦習していた日本の歴史を和銅5年(712)にいたって太安万侶(おおのやすまろ)が撰録して元明天皇へ献上したものであり、冒頭に安万侶による序がつけられている。それによると、
「(はじめに)根源はできたが、性質はまだはっきりしなかった。名もなく、動きもない形を知る者もいない」
と記されている。これをみると初めは天・地の形がはっきりしていなかったということになる。つまり、天地がカオスの状態であった。それに対して『古事記』の本文をみると、その書き出しは、
「天地が初めてできたとき、天に生まれた神の名は天之御中主神であった」
とあって、天と地とが分離した状態から始まっている。つまり、『古事記』の場合、序では天地が混沌とした未分離の状態からスタートしているのに対して、本文は天地が分離した状態から始まっているという相違をみせている。
では『日本書紀』をみると、
「その昔、天地がまだ分かれず、陰陽がまだ分かれず、鶏の卵のように混沌としたところに、ぼんやりと兆しが芽生えていた」
となっていて、天地が未分離の状態から叙述されている。『日本書紀』の場合、この本文の他に「一書(あるふみ)」という別伝承をいくつかあげることがあり、天地開闢神話についても6つの一書が記されている。それぞれの書き出しをみてみると、
①天地が初めて分かれるとき、ひとつの物が空中にあった。
②昔、国が幼く、大地が幼いころ、例えるなら油が浮かぶようにして漂っていた。
③天地がまだ混沌としている頃に、初めて神が生まれた。
④天地が初めて分かれた時に、初めて共に神が生まれた。
⑤天地が生まれる前は、例えるなら海に浮かぶ雲のように留まることがなかった。
⑥天地が初めて別れたときに、ある物があった。
となっていて、天地が未分離の場合と、すでに分離している場合の2通りがみられる。
こうしたことから、本文を重視するならば、『古事記』は天地が分離した状態から始まり、『日本書紀』は未分離の状態からスタートしているといえる。