防波堤になった“浮かべる城”後篇
外川淳の「城の搦め手」第22回
前回に引き続き、防波堤として再利用された「浮かべる城」について紹介したい。
北九州市の若松港には、駆逐艦「柳」の船体が防波堤として利用されている。 駆逐艦「柳」は、「冬月」と「涼月」とともに軍艦としての任務を終えると、防波堤として第2の人生を送っているのだ。
「冬月」と「涼月」は、第2次世界大戦中に建造された最新式の駆逐艦であるのに対し、「柳」は大正生まれの旧式駆逐艦であり、開戦前に第一線から退いて練習艦として利用されていた。
小さな船体に3本の煙突。主砲、魚雷発射管、艦橋は、すべて楯のない露天式。大正期の駆逐艦らしい独特のフォルム。「冬月」と「涼月」は、防波堤の拡張とともに地上から姿を消してしまった。
「冬月」と「涼月」は、「大和」とともに沖縄への突入作戦に参加。「大和」沈没後、作戦中止になったのち、無事に帰還。
「柳」については、周囲をコンクリートにおおわれながらも、ずんぐりとした戦標船とは違う細身の駆逐艦らしい船形を読み取ることができる。
戦標船の「武智丸」とは異なり、現在では防波堤の役割をほとんど果たしていない。
「柳」の艦尾付近。上部は完全に撤去され、船体の形状だけは読み取れる。
数年前までは、近くの建設会社の事務所に立ちよれば、見学は可能だった。現状については、「軍艦防波堤」で検索すると、情報を入手できるだろう。防波堤となった「浮かべる城」は、戦争という膨大な無駄の積み重ねのなかで生まれたわずかながらのリサイクルなのかもしれない。